紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

入試雑感

2005-03-01 16:28:24 | 教育・学問論

1月から3月までは入試の季節である。受験生だったのは遠い昔でいつのまにか入試を実施する側になってしまったが、入学試験にはいい思い出はほとんどない。日本の入試は冬場でインフルエンザが流行したり、雪で交通機関が乱れたりする可能性がある、季節的にはかならずしも最適とはいえない時期に試験会場に集めて一斉やることになっている。諸事情から現在のシステムになっているのだろうが、問題点は多い。

一方で最近はAO入試や多種多様な推薦入試が日本の大学入試でも一般的になってきた。以前、アメリカのあるリベラルアーツ・カレッジの学生選抜のプロセスを描いたドキュメンタリーを見たことがある。もともと少人数の学校ということもあり、高校時代の成績、推薦状、専任教員による詳細な面接、ディスカッション、OBによるインタビューなど、あらゆる角度からはかって慎重に学生を選抜している様子が描かれていた。日本の大規模大学にはとても真似できない技であるが、少子化にともない、一部の大学ではそうしたよりきめの細かい入試を将来的に実施していくこともあり得るだろう。

しかしアメリカのような書類審査による入試は、以前、ブログでも取り上げた、人種を考慮するアファーマティブ・アクションや、上院議員などの有力者の推薦状が役立つなど、日本的な一斉ペーパーテスト至上主義の立場からすると、「不公平」に見える点も多い。私の高等学校の校長は、「世界で一番『公平』なのは、日本の大学入試で、金持ちでも貧乏人でも都会の子でも田舎の子でも、名門の生まれでもそうじゃなくても、点数さえ取れば合格できるんだ」と言ってしばしば鼓舞していた。単純すぎる言い方だが、一面の真理をついているかもしれない。

昨年、サンフランシスコで調査をしているときにたまたま読んだ地元紙に興味深い記事が載っていた。名門スタンフォード大のお膝元のパロアルト・ハイスクールでは、「嘆きの壁」ならぬ「不合格の壁(Wall of Rejection)」という掲示板が構内にあり、そこに各大学から送られてきた「不合格通知」を受験生たちが自分で張り出すそうである。同高校からの出願者が多い、カリフォルニア大バークレー校、UCLA、スタンフォード大、カリフォルニア工科大などの通知が集中しているようだが、なかには担当者の人格を疑うような冷淡な文面のものもあるようだ。「最初は恥ずかしいと思ったけど、ひどく冷たい手紙を送った来た大学をさらし者にすることで悔しさを克服するんだ」などという高校生の談話も紹介されている。

アメリカ人らしいポジティブシンキングだが、一斉入試にしろ、書類選抜にせよ、選ばれたものには嬉しく、選ばれないものにとって悔しく苦しいのが、古今東西を問わない試験の常である。選ぶ側に回ると選ぶ難しさも感じるし、少しでもフェアでなければならないと身の引き締まる思いだが、「選ばれなくてもそれが人生の全てではないよ」と気休めを言うよりも、「なるべく選ばれるように頑張れ」と全ての受験生にエールを送りたい