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アートプラス京めぐり

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新日吉神宮  

2015年10月10日 07時46分11秒 | 神社

智積院と妙法院の間の道を東に上っていきます

 

狛犬

延暦元年(1160)、後白河法皇が、その御所法住寺内に比叡山東坂本の日吉山王七社(日吉大社)

を勧請したのが当社の始まりである。

祭神として、後白河法皇のほか、皇居守護神山王七柱を祀り、

酒造、医薬、縁結びの神として信仰を集めている。

当初は智積院南側に創建されたが、

元和元年(1615)、豊国廟社の破毀とともに旧廟前に移り、

更に明治30年(1897)にこの地に移った。

社殿は応仁の兵火で焼け、その後しばしば増改築が行われたが、

現在の本殿は、天保6年(1835)の改造で、大きな流造である。

 

古くから朝廷の崇敬が厚く、上皇の御幸は108度に及んだといわれ、

数多くの天皇の遺物、真筆を蔵している。

また、寛政10年(1798)に妙法院から境内に樹下社に寄進された、

長谷川等伯筆と伝わる豊臣秀吉の肖像が保存されている。

なお、江戸後期の小沢蘆安をはじめ、多くの文学者の稿本など近世文学の資料を

蘆安文庫の名で宮司家(藤島家)が保存していることは有名である。  京都市

 

 文中3年(1374)の小五月会に観阿弥がはじめて「翁」を演能したとき、

将軍足利義満は殊のほか賞賛したが、

これは日吉式神能の初演といわれ、わが国演能史の第1頁を飾るものとされる。

末社には洛陽25社の飛梅天満宮や豊国廟を破毀後、木下姓の秀吉をひそかに奉祀した樹下社がある

 

 

手水舎

 

これは、大砲の台座

 

このように大砲が据え付けてあった

 

 

 

狛犬

 

 

 

新日吉神宮の祭神

社号標  明治28年11月建立

 

 

御幣を持つ猿

 

鈴を持つ猿

 

 

左   下京菊濱学区 昭和10年5月

右    大正4年11月   (大正御大典と同じ年月)

 

鈴を持つ猿の石台座  大正4年11月 (大正の御大典と同じ年月)

 

本殿

 

 

 

平成の御大典奉祝記念  平成2年11月

 

ご神猿

御神猿の霊験

太古に京都、滋賀地方を開発された日吉大神は、千年の皇都の鬼門を御守護になった霊神で、

昔から朝野の信仰は真に顕著でありました。

当神宮本殿の前に安置する御猿は大神の御使者で、信者の災禍を去るという不思議な働きをされます。

常に御幣を捧げて悪気を祓い、凡ての災厄を退けて、幸福を授けられます。  社務所

 

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愛宕神社 ・秋葉神社

 

豊国神社

樹下社(このもとのやしろ) 豊国神社

阿弥陀ケ峯なる豊国社は、元和以降頽廃したが其の後間もなくその前方に

新日吉社を移転造営せられて以来、

豊国廟の管理は妙法院及び新日吉社で行って来たのである。

爾来豊公の神霊は、内々当社の神供所で祀られていたが、

天明5年に至り、更に境内に社殿を造営してその御神霊を奉遷し、

樹下社と称せられたのがこの社殿である。

 

スジダイ

 

飛梅  天満宮

 

記念樹

紀元2600年

 

拝殿

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