アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

石碑伏0135 稲荷新道碑

2017年10月16日 20時18分25秒 | 石碑

 

 稲荷神社(現伏見稲荷大社)への参詣道は,明治中期まで本町通(伏見街道)経由しかなく,参詣の便をはかるために,竹田街道勧進橋から稲荷神社裏門までの新しい参詣道が明治28(1895)年に開かれた。稲荷新道と呼ばれたこの参詣道は,大阪の実業家土井柾三の寄附により幅三尺の細道を二間に拡幅してつくられている。

  この碑は建立時には琵琶湖疏水稲荷橋西北詰にあり,竹田街道の新道起点には土井柾三により「稲荷さんけい道」と記す道標が設置された。本碑はのち撤去され長く行方がわからなかった。2002年に再発見され,缺損した下部を強化プラスチックで再現し,2004年4月に現在地に再設置された。

 

稲荷新道之碑【篆額】

 稲荷神社は官幣大社にして信者全国に充満せり然るに参詣の道路伏見街道只一筋のみなれは初午其他大祭の時不便いふへからす爰に大阪の人土井柾三ふかくこれを患へ公衆のため本社裏門前より竹田街道に達する此新道を開かんと主典桑田孝恒にはかりしに孝恒悦ひ諾なひて官準を経土地購収の手数すへて百般の事は森守信大石長兵衛等に委任し去年一月起工して今年二月に功を竣ふ此工費巨額なりといへとも皆土井氏の負担なり抑土井氏は常に質素を旨とし節倹を守り本社のためにはこれまて種々の寄附をなしこれを永遠普及に供す加之汎く公衆の益をおもひ慈善を行ひ隠徳を積事枚挙にいとまあらす嗚呼積善の家必余慶ありと古人の金言空しからさるへしと云爾  明治二十八年五月     稲荷神社宮司従六位近藤芳介撰

    同          禰宜従八位羽倉良豊書

     同          主典従八位桑田孝恒賛

 

石碑 前回の記事 ➡ 寺院南0399 誓祐寺  石碑南0134 苅萱道心旧跡

五七五

炎天へ かっと目開く 鬼瓦 /古崎

ことわざ

真綿で首をしめる



最新の画像もっと見る