道標
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頼山陽(1780~1832)は,晩年邸宅をこの地に構え
『日本外史』、『日本政記』などの執筆活動に励み,詩会や茶会を催した。
43歳の時、邸宅水西荘の敷地内に建てた書斎は鴨川に面し,
東山を望む風光明媚な景観に因んで山紫水明処と呼ばれた。
頼山陽は天保3年(1832年)9月23日 53歳で亡くなった
墓は長楽寺にあります
水西荘はその後福井藩の儒医 安藤精軒が譲り受けたが、
明治に頼家の子孫によって買い戻された
大正11年に史蹟名勝天然紀念物保存法により史蹟に指定され,
現在は「頼山陽書斎(山紫水明処)」として国指定史跡