旦椋神社
旧観音堂村の産土神。旦椋は穀物を収納する校倉の古語。また、平治の乱で知られた以仁王の冑を祀ったとも伝え、冑神社と称したという。
本殿は、二間社流造、こけら葺。規模・つくりは、荒見神社本殿(重要文化財)に共通しており、桃山時代風の華やかさがある。現在、本殿は覆屋で守られている。境内は、カシが中心の緑豊かな森である。境内地の背後は砂利採取地がせまっているが、氏子の努力によって境内の緑は守られ、鎮守の森にふさわしい景観を遺している。
当社の例祭は10月4日である。観音堂の道沿いには、高張ちょうちんがたちならぶ。神輿の巡行はなく静かな祭りである。桃山時代の建築様式を伝える本殿や緑豊かな境内地をもつ当社は、昭和58年4月15日付で、京都府より本殿は登録文化財に登録され、本殿を含む境内地は環境保全地区の決定を受け、将来にわたる保存と保護の措置が講じられた。
旦椋神社には、平安時代末期(12世紀後半)の皇族で平氏討伐に挙兵した以仁王が、戦いで傷つき、冑をとって休んだという言い伝えがあります。
式内 旦椋神社 明治21年3月
皇紀2600年の鳥居
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