隣華院
慶長4年(1599)賤ケ嶽七本槍の一人、脇坂保治が南化和尚を開山として建立した脇坂家の菩提寺で、境内墓地には脇坂安治以下一族の墓がある。
方丈の襖絵紙本墨画「山水図」20面(重文・桃山時代)は長谷川等伯の作といわれている。また、狩野永岳の筆になる障壁画が収められている。
豊臣棄丸座像 重文 がある。
豊臣棄丸(1589~91)は秀吉と淀君との間に生まれた長子で、秀頼の兄にあたる。別名を鶴松といい、天正19年わずか3歳でこの世を去った。葬儀は妙心寺でとりおこなわれ、玉鳳院の廟所に祀られた。秀吉は50歳を過ぎてはじめて得た愛児の死をいたみ、東山の現在の智積院の地に祥雲寺を建て、この棄丸像をつくって祀ったといわれる。徳川家康が天下の権を執るにおよび、豊臣所蔵の祥雲寺は没収され、寺地は真言宗智積院に与えられた。開山の南化和尚歿(1604)後、祥雲寺の経営に当たっていた海山和尚がこの木像を負うて、隣華院に持ち帰ったのである。日本の肖像彫刻史上、このような幼児の像はきわめて珍しい。
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