アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

江戸時代は岸和田藩(現大阪府)の京屋敷があったところ

2015年12月15日 09時49分54秒 | まち歩き

 

 

御射山町(みさやまちょう)

ここは、御射山町(元日彰小学校区)です。町域は、南北の東洞院通をはさみ、北は六角通から南は蛸薬師通に至る、天正時代に豊臣秀吉が町界を定めたとされる、両側町となっています。町名の由来は、信州霧ヶ峰の旧御射山遺跡に諏訪大社の末社である御射山神社があり、それが現町名となったと伝えられています。なお、現在も町内には諏訪社が祀られています。江戸期には岸和田藩(現大阪府)の京屋敷があり、明治4年に京都府勧業場出張所が設けられ、昭和4年に新設された中京区の区役所が昭和59年まで、この町内にありました。この、東洞院通は、明治末期に市電開通で烏丸通が拡幅されるまでは、この地域のメインストリートで、伏見と洛中をつなぐ物資等を輸送する重要な役割を担っていました。牛が引く多くの荷車が往来していた往時が偲ばれます。日彰自治連合会



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