若宮神社
手水鉢
今から千百数十年も前、平安時代の初め、清和天皇が太陽の我が身に入る夢をご覧になり、その時のお告げにより、九州宇佐八幡宮から神霊を奉じて帰京した僧行教が、山崎津で夜の山に霊光を見た。そこで此地を掘ると岩間から清らかな水が湧き出したので、「石清水」の八幡宮を創建する嵯峨天皇の離宮跡なので、後に離宮八幡宮と号するようになった。
手水鉢
江戸時代の初め頃、寛永11年、勝竜寺城主永井○○守が幕府の命令で当社社殿を造営した。その記念として城主が奉献したもの。林羅山が之を漢詩に詠み一掬洗心(ひとすくいの水はこころを清める)などと、霊徳を称えている。
武内社
蛭子神社
気比宮
腰掛天神社
菅原道真公腰掛処
腰掛天神社
菅公が九州へと流された折に西国街道脇の石に座して休息、次の和歌一首を詠じた。
君が住む宿の梢を ゆくくも かくるゝまでも かへりみしかな
高良社
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