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寺院左0009  聖護院 (しょうごいん)  修験宗

2015年03月09日 21時54分44秒 | 寺院

本山修験集 総本山 はじめ左京区岩倉の長谷にあったが 1087年~1094年現在の地に移る 応仁の乱(1467~1477年)で焼失、長谷に移るが、元和元年(1615年)上京の御所八幡町に移ったが、延宝3年(1675年)再び火災にあい、翌年現在の地に再建された

天明8年(1788年)の天明の大火の時内裏も炎上したので、光格天皇の2年間住まいとなった。また、嘉永7年(1854年)の内裏炎上(毛虫焼け)の時にも、孝明天皇と後の明治天皇とともに当院に避難されしばらく仮皇居とされた 皇室との縁が深い

表門

 

昭和12年 建立  右 昭和43年 建立

 

聖護院

 

本山修験宗総本山の寺院である。

 

平安時代の寛治4年(1090)に、白河上皇が紀州(現在の和歌山県)の熊野三山を参詣する際、修験者(山伏)として有名であった僧誉大僧正が、先達(案内役)を務めた功績により寺を賜り、聖体護持の意味から聖護院と名付けたという。修験道とし、日本古来の山岳信仰と、仏教の密教、道教などが結び付いて平安末期に成立した宗教で、役小角を開祖とする。応仁の乱をはじめ、度重なる火災に遭い、各地を転々とした後、延宝4年(1676)に再興されたのが現在の主な建物で、書院(重要文化財)は京都御所の御殿を移したものである。天明8年(1788)と安政元年(1854)の御所の炎上に際し、光格天皇と孝明天皇が一時、仮皇居として使用したため、「聖護院旧仮皇居」として、国の史跡に指定されている。 京都市

 

日本一を誇るほら貝があるのはここではないか。

 

 

長屋門  

 寺務所

 

門の奥は本堂の一部   右は 

 

外壁

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