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寺院右0221  念佛寺  1200年前、伝教大師の母がこの地で過ごし亡くなる

2017年06月07日 10時42分51秒 | 寺院

平成27年8月16日

紫雲山 念仏寺

天台宗の開祖伝教大師 最澄上人の母 妙徳尼有縁の寺院である。

妙徳尼は、夫百枝公と死別した後、生誕の地山ノ内で大師の身を案じながら日々を送っていたが、

当時、比叡山延暦寺は、女人禁制の霊峰であり、母といえども伺候することが叶わなかった。

大師自ら母のために刻んだ慈母観音の像を送られた妙徳尼は、

日夜この観世音像に給侍したと伝えられる。

弘仁8年(817)5月、71歳で妙徳尼が歿し、

大師は延暦寺において母の法要に百僧をもって供養し追孝の誠を尽くしたという。

 その後、大師は妙徳尼の菩提を弔うために、この地を比叡山ノ内と称し、

寺塔を建立され、阿弥陀如来を安置。

これが、現在の念佛寺であり、本尊の阿弥陀如来は、鉄で鋳られた秘仏である。

また、境内に残る古い石碑は妙徳尼実家の遠い祖先の墓碑として同尼をしのばせる。

 

水子供養寺 とある

 

最澄・伝教大師

767(0才)  近江国に生まれる

778(11才)  寺に入る

785(18才)  比叡山で修業を開始

794(27才)  平安京に都が移る

804(37才)  空海らと唐に渡る

805(38才)  帰国し、天台宗を開く

816(49才)  空海と交際をやめる

817(50才)  母 亡くなる

819(52才)  戒壇設立を願い出る

822(55才)  病死する

822       戒壇設立を許される

823       比叡山の草ぶきの寺を延暦寺ど改める

866       朝廷から伝教大師の名をおくられる

 

平成29年6月7日 画像追加

妙徳尼・跡

 

大きな 涅槃像だ

 

伝教大師 幼名 廣野

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五七五

二世帯を 建てたが息子に 嫁が来ぬ      /滝上

ことわざ

待てば海路の日和あり

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