全部で 4つの 石柱が 建っています
寶塔寺 と 題目
この地には,かつて樹齢千年を越す松の巨木があった。豊臣秀吉(1536~98)が植えたとか,参勤交替の目印とか,常盤御前が三人の子を連れてその下で休んだ等の伝説が残る。この石標は一本松の跡を示すものである。
古蹟 一本松 義三(印)
一本松 の石碑
京都市長 高山義三
岡本長三郎
京都市長高山義三 岡本忠夫
市会議員岡本伝次郎 吉岡時蔵
世話人 中村秀良園
今村金蔵 村岸信一
林 永三郎 前田源蔵
昭和廿八年秋建之 林 永乃之助 前田正躬
石泉■ 岡本新太郎 北村石材店
かつては、樹齢1000年といわれる老松があった。昭和9年(1934)の室戸台風により、損傷枯死して、二代目が植えられ「旧蹟 一本松」の標石が建てられた。
「南無妙法蓮華経」の大題目塔と松は、今も昔も風情を伝え、伏見街道の道標の役割を果たしている。
東に入る道は、宝塔寺馬場と呼ばれ、寺の正参道である。道の門前にあった蓮池から、龍谷大学の前を、東西一直線に流れるケナサ川があった。(砂川と呼ぶこともある)。大部分が暗渠になったが、天正検地帳(1589)の稲荷村南限線である。西に向かっては、第一軍道の陸橋がある。この種の道路は、南の方に、第二、第三とあり、軍隊の町時代の名残が今も生きている。
七面大天女
天長地久 国土安穏 寶徳講
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五七五
猿だった名残か毛皮恋しいの /こはく
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