清涼山に号する浄土宗西山禅林寺派の寺である。むかし、この地の北辺に一ノ橋と呼ばれる橋が架かっていたことから橋詰堂とも呼ばれていたと伝えられている。宝永3年(1706)僧聖空によって中興され、寺名を寶樹寺と改められ、現在に至っている。本堂には、本尊の阿弥陀如来立像及び薬師如来坐像を安置している。この薬師如来坐像は、俗に「子そだて常盤薬師」と呼ばれ、常盤御前が、今若、乙若、牛若の三児の生長を祈願した像と伝えられている。また、境内には「常盤御前雪除けの松」と呼ばれる残株があり、常盤御前が大和(奈良県)へ逃れる際、この地の老松の下で、しばし雪の降るのを避けたと伝えられている。京都市
本尊阿弥陀像は高さ79㎝、火災による表面の破損はみられるが、安阿弥流の彫法をとどめる優像である。常盤御前が平清盛にしばらく囲われていた屋敷跡というのが、夢の浮橋より50メートル北への付近とつたえる。とかく伏見街道には常盤母子の口碑伝説が多く残っている。
薬師如来像
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寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0325 西方寺 浄土宗
五七五
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ことわざ
あの声で蜥蜴食らうか時鳥(あのこえでとかげくらうかほととぎす)
時鳥は蜥蜴を食うとは思えないほどの、美しい声で鳴く。人の性格や物事は見かけによらないものということ。
知・江戸時代の俳人、榎本其角の句。
類・外面如菩薩内心如夜叉
対・鬼面仏心
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