京都市伏見区醍醐中山町3
浄土宗
雷除 清瀧大権現 とある
昭和10年 大谷町
浄土宗知恩院の末寺。無量寿山西方寺といい、承安年間(1171~1174)に一海阿闍梨の創建になる古刹である。また、醍醐寺の隠居所であったとも言われている。本尊は阿弥陀如来で、共にある11面観世音は専心僧都の作。堂内にあるお地蔵さまは弘法大師の作と伝えられており、当時は極彩色らしく、現在のところところどころに色彩が残っている。また、当地にあった極楽寺は廃寺になったが、その仏像は今も安置されている。境内に庭には、織田有楽斎が愛した「佗助遊楽」と言われる樹齢400年の椿があり、春には美しい花を咲かせている。境内にある清滝大権現は、慶長4年(1599)に上醍醐の清滝宮から御分身として勧請したもので、当時は寺の門前30mの所に祀られていた。寛政年間(1789~1800)ゆの西方寺中興の祖、安祥大僧正が、倒壊した筑前藤原国兼建立の大谷塔(多宝塔)の跡地と思われる現在地に移設した。これは、寺の前が西国から江戸への道路であったことから近くの牛馬休み所の不浄を避けるため、清滝大権現を山中の清浄な地にお移したのである。古よりこの辺りの守護神として、また雷除けとして人々の信仰を集め、毎年成人の日に旧大谷町二十軒を講中として、古式に則ってお膳をしつらえ、お供えされる行事がある。 出典・ふしみ昔紀行
この文 平成29年1月21日 追加
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