俗に「洗い地蔵」とよばれる浄行菩薩石像を祀った日蓮宗の寺である。ここは十禅師の森址とつたえ、庫裡の庭先には「五条十禅師宮旧𧐐」としるしるた石碑があり、また、近年境内に十禅師社が復興された。
他に「物見の松」と呼ばれた大木があって、牛若丸がこの木に登って四辺の様子をうかがったといわれ、また付近の民家には「弁慶血洗いの井」と称する井戸もあったと伝えるが、今はすべて民家の密集いるところとなって廃滅した。
あらいぢぞう の のぼり
当寺開基壇越 顕彰之碑
十禅大明神
十禅師の森址
むかし鴨川の松原橋を東へ渡った南側に森があり、その中に日吉山王七社権現の一つである十禅師を祀った小祠があったので、十禅師ノ森とよばれた。
この森は五条橋で打ち負かされた弁慶が、牛若丸に主従の誓いをしたところと言われ、これに因んで弁慶社と呼ばれた。
この伝説の理由は、室町時代の頃に作られた御伽草子『橋弁慶』に負うところが大きい。同書によれば、牛若丸は父義朝の十三回忌供養のため、平家の侍千人を斬らんと志し、毎夜十禅師ノ森にひそんで平家の侍をねらい、すでに九百九十九人に達した。このうわさをきいた弁慶が、それでは自分が相手となり、ひとあわふかせんものと五条橋まで出かけた。その結果は天下衆知のごとく、弁慶の負けとなり、十禅師ノ森まで引っ立てられ、果ては主従の誓いをせしめられたのだという。この神社は明治維新に際し廃社となり、森も伐り払われてしまった。
あらいじぞう
洗い地蔵
洗い地蔵尊を祀る市内三ケ所のうちの1つである。
高さ60㎝、頭部に髪を束ね、両手を胸の前で合わせている。
明治から戦前にかけては順番札を出す程に長蛇の列が続いたという。
一生懸命に「たわし」でこすると願い事が叶うといわれ、宮川町の芸妓は旦那の浮気どめに地蔵尊の゛前゛をこすると不思議に効果があるといわれる。
因みに他の2ケ所の洗い地蔵尊は「頂妙寺」「本満寺」にもある。いずれも日蓮宗寺院に祀られているのが特色である。
この寺は日蓮宗ですから、鬼子母神をお祀りしています。鬼子母神は子供に関するあらゆる願いをする神さんです。
井戸ポンプ 現役だ
本堂
当寺は宗教法人日蓮宗 興福山壽延寺と申します。
創建は元和2年(1616)徳川中期です。
御本堂には中央に一塔両尊・釈迦如来・多宝如来(日蓮大上人脇には四大菩薩四天王其の他諸尊をお祀りしております)
向かって左側に鬼子母尊神 右側には大黒天を安置して居ります。大黒天は伝教大師の作と言われ門前から大黒町通と言う。本堂北側に妙見堂が有り開運北辰妙見菩薩を祀っています。
山門より入りすぐのお堂は大黒堂で碑は十禅の森の旧跡地主様十禅大明神様です。
次は宗祖日蓮大上人御廟所です。
次のお堂浄行大菩薩を安置しています。先心殿です。
通称あらいぢぞう尊です。
となりのお堂は弁財天を祀っています。江の島弁財天の御分身です。
あらいぢぞう様の御本名は浄行大菩薩と申し上げます。
お釈迦様が末法に使わされました。四大菩薩のお一人で水徳の佛様です。
水は宇宙の原素です。生きとし生ける物はすべて水の恩恵なしでは生きられません。そして水は汚れた物を洗います。人は知らず知らずの間に心を傷つけたり、汚したりしています。そうして病気になります。浄行さまにお願いして祈って下さい。しかし自分の心をきれいにしてお願いしなければいけないのです。お水を佛様にかけて祈るのです。一心に祈るのです。一番良いことは浄行様のお経を唱えることです。法華経を唱えてください。それは南無妙法蓮華経と唱えてください。
法華経を唱える事になります。心から唱えてください。
最後に大事なことは感謝の心です。今日お詣り出来た自分をよろこんで下さい。自分は沢山の人々とかかわっているから生きられるのです。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経 合掌
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五七五
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