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まち歩き下0702 大内小学校の碑

2018年02月25日 07時33分28秒 | まち歩き

 

洋風二階建ての校舎・唯一の純ヨーロッパ風

元大内校の西洋造り二階建て本館の写真が残っているが、おそらく京都唯一の西洋風建築だっただろう。九条村から現在地へ移転開校したのは明治19年4月で、校名も葛野郡修道小学校と命名された。

たぶん首をかしげる人がいるだろう。確かに東山区にも明治25年に修道校と改称され今日に至る小学校がある。「四書五経」の漢籍から命名されると、同じ校名になることが多い。

例えば「格致校」は現松ヶ崎校の旧校名だし、他府県にもある。また明倫校や明徳校というのも多い。

葛野郡修道校は大内校と改称し、大正7年京都市へ編入された。明治の学校建築をすべて見たわけではないが、山梨県・長野県・愛媛県・静岡県などに残っている明治建築は、擬洋風とか藤村式建築とか呼ばれ、日本の棟梁が造った擬洋風建築である。最近、米国人のある大学教授に擬洋風建築の写真を見せたら「僕からいわせたら、これはみなヨーロッパの感じではないね、中国か日本の感じだね」といったが゛、元大内校の写真を見せたら、これはヨーロッパ風だというのではなかろうか。

大内校から大正14年に光徳校、昭和3年に南大内校がそれぞれ分離独立したことは、京都市が南部に発展した経緯を物語っている。

大内小学校は明治5年東寺境内に東寺廻り村小学として創設され、以後八条学校脩道小学校と校名を改称 明治19年現在地に移転し 大正2年更に校名を大内尋常小学校と改称した 開校以来124年の歩みの中に1万3千余名の卒業生を世に送り出した 平成7年2月校区の人々の賛同を得て安寧小学校との統合を決定し 新しい統合校 梅小路小学校に後を託して 平成8年3月その輝かしい歴史の幕を閉じた

大内小学校の碑

校歌

春うららなる 大内の庭に

萌ゆる若草 しげくたくまし

つつむ力に 百千の花と

咲きて競わん 美しの色香

 

照らす光と 教えのつゆに

若葉しげりて 端枝はのびぬ

いてや励みて 学びの庭に

良き実結ばん 望みの秋を

 

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