アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

堀川 御池橋  川は地下に

2015年06月12日 21時35分13秒 | まち歩き

欄干が残されています

 

橋は明治45年に完成していました

 

 堀川通り 御池通り 五条通りは 幅の広い道路ですが

これは、戦争中の建物疎開によって出来たのです

関連検索 ➡ 建物疎開の話2010年11月21日へ チューさんの今昔ばなし

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天寧寺  曹洞宗 額縁門

2015年06月12日 10時17分18秒 | 寺院

 

 

 

 

 

 

江戸時代の茶人 金森宗和の墓所、剣道 示現流 開祖 善行和尚 の墓所

 

 

 

天候が晴れで空気が澄んでいないと素晴らしい映像は出来ません

 

観音堂

 

 

天明の大火の焼け跡が残る

 

本堂は塀の向こう  カヤは本堂の手前にあります

 

稲荷大神

 

 

明智光秀公 報恩塔    ➡  明智光秀の首塚

 

九重の塔

 

鐘楼

 

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志波む桜 碑

2015年06月12日 09時21分53秒 | 石碑

 

 

賀茂川堤の桜は京都府師範学校教職員・生徒,同附属小学校児童による

植樹に始まる。

百周年記念誌編纂委員会編

『京都教育大学教育学部附属京都小学校百周年記念誌』(1981年記念事業委刊)

によれば,

明治38(1905)年6月に日露戦勝を記念し賀茂川葵橋より御園橋に至る

両岸の堤防に桜楓を植えることが職員会議で発議された。

教職員・生徒・児童の醵金と労力奉仕により,同年11月22日に

桜樹2279本・楓樹735本の植付けを完了し,

12月2日に桜楓樹植栽植付完了記念式が挙行された。

この碑はその植樹事業を記念するものである。


 上掲書には碑文冒頭「甲辰之歳征露役起」の「征」字は人材育成という建碑の趣旨にかなわないので削除したと記す。しかし現状は下の碑文に示すように読むことができる。ただ,他の文字と比べ彫りが浅く,何らかの加工が施されているようである

 

 

甲辰之歳征露役起戦連両

年我武維揚因植桜楓数千

株於鳧堤以為記念亦以寓

育英之意焉耳

明治卅八年乙巳冬十一

京都府師範黌職生員建

 

参考 ⇔ 京都フィールドミュージアム