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史跡東004  明智光秀 塚

2015年03月23日 06時59分30秒 | まち歩き

車も通れないようなところにある

「長存寺殿窓玄大禅定門」と石碑に刻まれている  (明治36年 市川団蔵 建立)

光秀は天正10年(1582年)6月 山崎の合戦で敗れ、江州坂本城を目指して遁れる途中 伏見の小栗栖で襲撃を受け最後を遂げた。

首は粟田の刑場でさらされたのち、付近の西小物座町の人家の後ろに埋められた その後光秀の子孫にあたる明田某が梅宮町の自宅に移し光秀の菩提を弔った

ここは、首より上の病気に悩むものはこの塚に祈れば霊験があるという 

 

 

 

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