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アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

運動記録 5月31日  2年と5ケ月目

2021年06月03日 18時02分40秒 | まち歩き

2021年  階段1回で高さ3m往復、ダンベル1回・2個で16㌔

5月の運動記録  4257往復【高さ12771㍍】、ダンベル 3528回 【56トン】、腹筋 882回

  ウォーキング 0歩 【0㎞】、CD  1583回

31日 CD  残り 1583回

30日 CD  残り 1584回

29日 階段昇降  100回 【4257】、ダンベル 168回 【3528】、腹筋 42回 【882】

28日 CD  残り 1585回

27日 階段昇降  100回 【4157】、ダンベル 168回 【3360】、腹筋 42回 【840】

26日 階段昇降  100回 【4057】、ダンベル 168回 【3192】、腹筋 42回 【798】

25日 CD  残り 1586回

24日 CD  残り 1587回

23日 階段昇降  100回 【3957】、ダンベル 168回 【3024】、腹筋 42回 【756】

22日 階段昇降  100回 【3857】、ダンベル 168回 【2856】、腹筋 42回 【714】

21日 階段昇降  100回 【3757】、ダンベル 168回 【2688】、腹筋 42回 【672】

20日   CD  残り 1588回

19日 CD  残り 1589回

18日 階段昇降  100回 【3657】

17日 階段昇降  200回 【3557】

16日 階段昇降  200回 【3357】、ダンベル 168回 【2520】、腹筋 42回 【630】

15日 階段昇降  200回 【3157】、ダンベル 168回 【2352】、腹筋 42回 【588】

14日 階段昇降  200回 【2957】、ダンベル 168回 【2184】、腹筋 42回 【546】

13日 階段昇降  200回 【2759】、ダンベル 168回 【2016】、腹筋 42回 【504】

12日 階段昇降  47回 【2559】、ダンベル 168回 【1848】、腹筋 42回 【462】

11日 階段昇降  200回 【2512】、ダンベル 168回 【1680】、腹筋 42回 【420】

10日 階段昇降  201回 【2312】

9日 階段昇降  292回 【2111】、ダンベル 168回 【1512】、腹筋 42回 【378】

8日 階段昇降  283回 【1819】、ダンベル 168回 【1344】、腹筋 42回 【336】

7日 階段昇降  270回 【1536】、ダンベル 168回 【1176】、腹筋 42回 【294】

6日 階段昇降  285回 【1266】、ダンベル 168回 【1008】、腹筋 42回 【252】

5日 階段昇降  221回 【981】、ダンベル 168回 【840】、腹筋 42回 【210】

4日 階段昇降  225回 【760】、ダンベル 168回 【672】、腹筋 42回 、【168】

3日 階段昇降  160回 【535】、ダンベル 168回 【504】、腹筋 42回 、【126】

2日 階段昇降  205回 【375】、ダンベル 168回 【336】、腹筋 42回 、【84】

1日 階段昇降  152回 【】、ダンベル 168回 【】、腹筋 42回 【】

 

4月の運動記録 3357往復【高さ10071㍍】、ダンベル 3276回 【52トン】、腹筋 820回

  ウォーキング 101320歩 【59㎞】、CD  1590回

 運動記録 2021年4月   2年と4ケ月目 

3月の運動記録 1640回 4920m、ダンベル 3420 54.7トン、腹筋 920、ウォーキング 36606歩 20㎞

  

2月の運動記録  【2520】7560㍍、ダンベル 【4212】67トン、腹筋  【1053】ウォーキング 9300歩 5㎞

      ⇒ 運動記録 2年と2ケ月目  一番大切なことは 続けること

 

1月の運動記録 3330往復(高さ9990m)、ダンベル 4560回(73トン)、腹筋 1140回、ウォーキング 7180歩(4㎞)CD1594

       ⇒ 運動記録 2年と1ケ月目  一番大切なことは 続けること

2020年

12月の運動記録 3120往復(高さ9360m)、ダンベル 3992回(63トン)、腹筋 1009回、ウォーキング 71801歩(40㎞)

11月の運動記録 階段昇降 1320往復(3960m)ダンベル 3312回(50t)、腹筋 756回、ウォーキング 82756歩(44㎞)CD1595

10月の運動記録 階段昇降・7㎏ 1620往復(4860m) 、ダンベル8㎏ 4020回(64t)、腹筋 980回

前回の記事 ⇒ 運動記録 10月分 一番大切なことは 続けること


まち歩き亀岡1732 郷土出身 石田梅岩の展示 亀岡ガレリア

2021年05月30日 06時02分55秒 | まち歩き

梅岩は、江戸時代中頃の享保期を中心に活躍しました。

この時代は、近世封建社会のおおきな転換期にあたり、

徳川吉宗の「享保の改革」にみられるように、幕藩体制の矛盾が表面化します。

 その反面、商業の発達により町人が台頭してきます。

梅岩の教えはその町人層にひろまり、大阪・兵庫・奈良方面への出張講釈を行うようにもなりました。

 「人の人たる道」を求めながら、同時に商業活動における営利追及を積極的に肯定し、

勤勉と倹約を説き正直を勧めたことから、町人の自覚を高めることとなり、

この時代の風潮に適合していたと言えます。

 長年の研究成果の総決算として、元文4年(1739)55歳で『都鄙問答』

さらに、延享元年(1744年)59歳で倹約成果の総決算として、

さらに延享元年(1744)59歳で「倹約斉家論」を刊行しました。同年9月24日、60歳の生涯を閉じました。

 

生誕地

 

 

京都の学舎

「ひとの人たる道」を説き勧めるために京都へ出た石田梅岩は1729年(享保14年) 

45歳の時に、京都車屋町御池上ルの借家を講席に、念願の開講を実現しました。

聴講無料出入り自由、さらに女性もどうぞという当時としては型破りの講席でした。

この教えは、「石門心学」として、弟子の手島堵庵による講舎の組織化で、

いっそう波及の勢いを増し、全国各地へ広がってゆき、町人階層から武士階層にまで広く浸透していきました。

ここに設置された心学講舎は、石田梅岩が行った講席の場を、

現在にのこる同時代の町屋や、後に開設された明倫舎の模型などを参考に、

現代の心学講舎として復元したものです。

 

.

享保14年(1729)、梅岩45歳の時、京都車屋町御池上ルの借家を講席として初めて開講を実現しました。

「人の人たる道」を説きすすめるため京都へ出てから約20年後のことです。

 梅岩の思想は、神道・儒教・仏教、その他多くの思想を取り入れ体系化されたものといわれています。

その中で、梅岩が追及したのは、あくまでも民衆の日常生活の中に立脚する道徳的規範の確立でした。

つまり、人間の心を追求し人間の本質を見きわめる修行を実践しながら、

かつ現実社会にその原理を移行させることをめざしたといえます。

 京都での開講もこうした実践のひとつで、広く一般民衆に呼びかけ、

聴講無料出入り自由、女性の方もどうぞという内容は、当時としては型破りの講席でした。

このように梅岩の思想は単に学問上での認識にとどまらず、実行力を伴った思想であったといえます。

石門心学の祖として名高い石田梅岩は、貞享2年(1685)に現在の東別院町東掛に生まれ、名を勘平といった。

京都での奉公をする中で、小栗了雲という隠遁の学者との出会いにより、

長らく求めていた「道」を深く学ぶこととなり、さらに独学で研鑽を重ね、

約20年間にわたり勤めた商家を辞して、

享保14年(1729)45歳の時、京都の車屋町御池上ルの小さな借家で初めて開講した。

主な著書に「都鄙問答」 「倹約斉家論」 などがある。

 

梅岩亡き後、この教えは「石門心学」として受け継がれ、

手島堵庵による講舎の組織化でいっそう波及の勢いを増しました。

さらに、上川淇水手島和庵中沢道二などの有能な指導者が輩出し、

天明~享和年間(1781~1803)にかけて興隆期を迎えます。

亀山の地においても、天明6~7年(1786~87)の頃、北村柳悦らが招かれ持養舎が設立されたことが知られます。

文化・文政期(1804~1829)には、京都・大阪・江戸がそれぞれ拠点となりながら、

全国各地へ平易な道話を通じて広がってゆきました。

後には、町人層のみならず、武士層、農民層まで心学の思想が浸透しました。

現在は、京都の明倫舎、大阪の明誠舎、東京の参前舎が旧来の名跡とともに、その学統を継承しています。

線香1本を香炉に立てて燃えつきるのが1回の講義の時間であったという。

 

梅岩は貞享2年(1685)9月15日、現在の亀岡市東別院町東掛の農家に生まれました。

その人となりを示す事柄は「石田先生事蹟」 「石田先生語録」等に記載されています。

10歳の頃、自家の山と他家の山との境で栗を拾い、分別なく拾って来たとに叱られ、

すぐに栗を返しに行ったというエピソードから、律義で正直なの影響を受け、

愚直なまでの律儀さを身に付けたといわれています。

また、14歳の頃から生来の理屈者で意地が悪いという性格を深く自覚し、

以後、それを改めようとする強い意志を持ち続けました。

ここでいう、理屈者で意地が悪いとは、梅岩の道徳的意識の強さを反映したものです。

そのことは24~25歳ころから27~28歳にかけて曲こと(不正)を嫌い気を煩ったとか、

あまりにも気まじめであったため、奉公先の老母から、「遊興」をすすめられたことからもうかがえます。

23歳の時、再度京都へ出て商家黒柳家へ奉公した梅岩き、すでに青年期に入っており仕事の傍ら

「自分とは何か」「人間とは何か」などについて考えるようになりました。

仕事前の早朝から窓辺に向って書物を読み、仕事後の夜更けにも勉学に励んだといわれています。

この修行期の梅岩にとって「人の人たる道」を追求することが大きなテーマでした。

商人としての体験をもとに、求道者としての梅岩の苦しみが続きました。

その渦中で、小栗了雲との出会いが、梅岩を人間性の本質へ導いていきます。

梅岩は、日所生活の中でいつも経験する意識、つまり「心を知る」ことについての真剣な思索を深め、

人間性の本質である「性」を知るために修行を積み重ねることで「性は是天地万物の親」

さらには「我なし」の境地へと悟りを深めていきました。

関連記事 ⇒ まち歩き中1659 京の通り・高倉通り 北へ NO55 石碑

       まち歩き中1572+京の通り・堺町通 NO49 石碑・石田梅岩邸跡

       幕末の学校

       石碑7  手島堵庵五楽舎址   富小路六角上る

       石碑 元日彰小学校  日彰学区の歴史

       まち歩き下1429 京の通り・富小路通 No85 元 有隣小学校 

       石門心学 学習風景

       番組小学校下京第4番組小学校  日彰小学校 

       寺院西0169  是住院 浄土宗 富岡家墓所

       神社下0039  朝日神明宮

       ねむりさまし  

       右書き看板  明倫舎   説明書きがないのですが

       京都芸術センター 建物はこの前が明倫小学校 今は登録有形文化財

       

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まち歩き木津川1731 ブロック塀の一部に井戸の井桁の石が使われています

2021年05月28日 06時10分05秒 | まち歩き

 

井桁の向こうは井戸があるのでしょうか

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石仏木津川058 木津川 北河原 の石仏

2021年05月21日 09時50分14秒 | まち歩き

 

石仏 前回の記事 ⇒ 石仏左057 大原 石仏 小さな祠

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石碑木津川0238 南山城 水害記念碑 北河原地区

2021年05月19日 07時34分21秒 | まち歩き

 

昭和28年8月15日 豪雨 洪水 で この地区で 7名の方が亡くなっている

 

石碑 前回の記事 ⇒ 石碑左0237  一福茶屋

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まち歩き木津川1730 天井川 不動川をくぐるJRのトンネル 反対側から見ると

2021年05月17日 06時25分47秒 | まち歩き

 

トンネルの向こうが京都方面

トンネルの上は 天井川の不動川

関連記事 ⇒ まち歩き木津川1728 一級河川 不動川

       まち歩き井手1727  トンネルの上は 川が流れています

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き木津川1729 初めて見た 米つき石

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まち歩き木津川1729 初めて見た 米つき石

2021年05月16日 15時05分53秒 | まち歩き

左側の石  何に使うのかと調べると 米をつくときの棒の支点になる石だった

くびれたところに棒をわたして ばったんばったんと米をつく

手前の石

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まち歩き木津川1728 一級河川 不動川

2021年05月16日 06時00分18秒 | まち歩き

不動川(ふどうがわ)は京都府木津川市山城町を流れる一級河川。淀川系の木津川支流。

河川延長は6キロメートルである。 上流部は洪水堆積物が、下流部はレンズ状の堆積物が堆積している。

木津川流域を流れる最大の天井川

不動川の大きさは河川敷45メートル、高さ15メートル、川巾5メートルで花崗岩の風化した砂が堆積している。

上流で平水時地上水があるところでは、6メートルの川幅の中を水が樹枝状にゆっくりと流れている。

1つの流れの幅は10~20センチメートルで、深さは10センチメートルほど。

 

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き井手1727  トンネルの上は 川が流れています

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道標井手0323 山背古道 蟹満寺  現代の道標

2021年05月15日 15時06分57秒 | まち歩き

 

道標 前回の記事 ⇒ 道標左0322 大原 左 寂光院

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まち歩き井手1727  トンネルの上は 川が流れています

2021年05月15日 07時40分37秒 | まち歩き

 

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き井手1726 井手町 稲の実り

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蔵のある風景井手0434 井手町

2021年05月14日 21時13分18秒 | まち歩き

 

蔵のある風景 前回の記事 ⇒ 蔵のある風景左0433回 大原 土蔵

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祠井手063 大日如来

2021年05月14日 10時55分43秒 | まち歩き

 

 

祠 前回の記事 ⇒ 祠城陽062  若王子稲荷  石碑城陽0234 記念碑

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まち歩き井手1726 井手町 稲の実り

2021年05月14日 07時25分45秒 | まち歩き

2019年11月6日 撮影

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き井手1725 JR奈良線を跨ぐ「天井川」

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まち歩き井手1725 JR奈良線を跨ぐ「天井川」

2021年05月13日 05時49分11秒 | まち歩き

 

北方面を見る

南方面を見る 手前は 左が上流、右が下流。 フェンスの向こう下側に 線路が見える

この川は いわゆる 「天井川」 になっています

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き左1724 森前橋 (親柱)

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まち歩き左1724 森前橋 (親柱)

2021年05月12日 20時28分36秒 | まち歩き

 

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き左1723 大きな 灯籠 ユニークな形

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