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石碑 元日彰小学校  日彰学区の歴史

2016年01月15日 06時53分29秒 | 石碑

 

日彰校記念之碑

明治2年(1869)6月20日 開校

平成5年(1993)3月31日 閉校

 

 

日彰学区の沿革

ここは和久屋町(元日彰学区)です。六角通から南は蛸薬師通に至る、天正時代に豊臣秀吉が町界を定めたとされる、両側町となっています。寛永18年(1641)前平安城町並図では、高倉通の西側(元日彰小学校、現高倉小学校の地)に、徳川家康の異父弟久松定勝を祖とする伊予松山藩(現愛媛県)の京屋敷があり、人家が東側に集中し「かたはら町」と称されたこともありました。東隣の甲屋町には、京の商人に大きな影響を与えたとされる心学を創設した石田梅岩(1685~1744)の自宅があり、当時ここで、今でいうゼミナールが開かれていました。近年では、洋画家で美学・美術史学者でもあった有名な須田国太郎(1891~1961)が住まいしていました。日彰自治連合会

  



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