日彰校記念之碑
明治2年(1869)6月20日 開校
平成5年(1993)3月31日 閉校
日彰学区の沿革
ここは和久屋町(元日彰学区)です。六角通から南は蛸薬師通に至る、天正時代に豊臣秀吉が町界を定めたとされる、両側町となっています。寛永18年(1641)前平安城町並図では、高倉通の西側(元日彰小学校、現高倉小学校の地)に、徳川家康の異父弟久松定勝を祖とする伊予松山藩(現愛媛県)の京屋敷があり、人家が東側に集中し「かたはら町」と称されたこともありました。東隣の甲屋町には、京の商人に大きな影響を与えたとされる心学を創設した石田梅岩(1685~1744)の自宅があり、当時ここで、今でいうゼミナールが開かれていました。近年では、洋画家で美学・美術史学者でもあった有名な須田国太郎(1891~1961)が住まいしていました。日彰自治連合会