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KONASUKEの部屋

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笠間市文化財公開~楞厳寺編~

2016年11月08日 | 笠間
10/22、23の両日行われた「かさま文化財公開」・楞厳寺(りょうごんじ)篇。
写真は23日の様子。
場所はこの辺↓

文化財公開パンフレット

楞厳寺は・・・
・創建の時期は明らかでないが、もと律宗であったといわれる。
・笠間城初代城主・笠間時朝の時代(鎌倉時代の中頃)、前身となる寺院を再建させ、笠間氏の菩提寺とした。
・室町時代、大拙和尚に請い、精舎を再建し、禅宗に改めた。
 この時から、山号を仏頂山、寺号を楞厳寺としたと言われる。
・寛永8年(1631)の火災で本堂などを焼失したが、山門だけは焼け残った。
・奥の院である現在地の観音堂を仮本堂として使用し、昭和29年に現在の本堂が完成した。
※「笠間城記」には、「かつては律宗であり、火災にあって再建できないものであったものを、笠間時朝が大拙和尚を請い、精舎を再建し禅宗に改めた」旨の記述があるが、これは誤り。
楞厳寺の山門(国指定重要文化財)。
製作:室町時代中期
間口:3.7m、奥行:3.8m
指定:大正6年4月5日

禅宗様式の四脚門※1(しきゃくもん、よつあしもん)。
屋根は切妻造りの茅葺きであり、主柱を高くのばし、平三斗組(ひらみつとくみ)で梁木(はりき)を受け、控え柱も平三斗組で桁(けた)および繋虹梁(つなぎこうりょう)を受けています。
柱間には扉や壁がなく、吹抜けです。
軒は一軒繋垂木(ひとのきしげだるき)ではありますが、後年の補修で内法貫(うちのりぬき)、飛貫(ひぬき)、頭貫(かしらぬき)の各鼻には、それぞれ異なった繰形(くりかた)の木鼻を飾り※2、虹梁の下には、花模様付の錫杖彫(しゃくじょうぼり)が施されています。
全体的に簡素なつくりではありますが、優れた山門です。

※1 柱そのものは6脚あり、主柱2脚、控え柱4脚
※2 花、宝珠、雲形など。
楞厳寺を訪ねて、まず驚かされるのは、山門から全く見えないほど、本堂が遠いこと。
なるほど。
かつては山門のすぐそばに本堂があったけど、火災で焼失したんだね。
一つ謎が解けたよ。
山門の天井。
かつては赤かったのだろうか?
さて、山門を後にして・・・
道を途中で右に反れると・・・
笠間氏累代の墓地(市指定史跡)がある。

墓地面積:123㎡ 指定:昭和53年4月25日
 笠間氏は初代時朝より始まり、天正18年(1590)まで笠間地方を領していました。
墓地にある石塔は、笠間氏歴代の領主の墓として伝わっており、正面の宝篋印塔が初代笠間時朝の石塔であるといわれています。

昔は墓に名前なんて、彫らなかったからねぇ。

この墓所については、昭和9年(1934)に笠間義士会の手によって整地され、現在に至ります。
さて、元の道に戻ってしばらく行くと、駐車場があり、その先に、この看板がある。
苔むした急な階段。
登り切って、振り返る。
登った先には、地蔵様なんかがあり、
でっかいカヤの木がそびえている。
階段上って、少し左手の旧観音堂。
何て書いてあるのか、読めない。
旧観音堂のさらに左手にある「太子堂」。
聖徳太子を祀ったお堂だわな。
今回、このお堂でも、滅多に観られない貴重なものが。
70歳の住職も、生まれてこの方、公開されているのを見たことがないという。

[太子堂の仏像]
 太子堂は修理銘札によれば、明治23年(1890)に建てられたものです。
聖徳太子を信仰する太子信仰の広がりによって、太子堂と聖徳太子像は造られたと考えられます。

〇木造聖徳太子立像と木造虚空蔵菩薩立像
 聖徳太子立像は、像高約43.0㎝、室町時代前半に造像されたものです。
寄木造で、彩色(近代の補修)がされており、玉眼です。
厨子に納められており、厨子裏には修理銘札があります。
銘札によると、明治23年に聖徳太子像と虚空蔵菩薩像に修造を加え、新堂を建築したことがわかります。
虚空蔵菩薩立像は、像高137㎝、鎌倉時代半ばに造像されたものです。
寄木造で、肉身部は金泥、衣部は彩色が施されています(明治23年補修)。
玉眼、宝冠は共彫です。
台座の蓮肉部上板は当初のものと考えられるが、所々に後補が見られます。
太子堂から北には十三仏。

さらに北には、観音堂。
茨城大学の学生ボランティアが解説してくれました。
ここで本日のメイン、「国指定重要文化財 木造千手観音立像」が見られます。

〇「国指定重要文化財 木造千手観音立像」
 製作:建長4年(1252)
 像高:207.5㎝
 指定:大正9年8月16日

本尊は頭上に十一面を頂き、高髻(こうけい)・毛筋彫(けすじぼり)・天冠台(てんかんだい)を刻んでいます。
真手(まて)・宝鉢手外四十臂(ほうはつしゅほかよんじゅうび)・条帛(じょうはく)を懸け、裳(も)を付け両足をそろえて立っています。
ヒノキを使用しての寄木造で、漆箔(しっぱく)を置き、玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう)です。
髻(もとどり)が高く造られており、ひだの複雑なつくりから、慶派の作風であることがわかります。
像の背面に「建長四年壬子七月 従五位上行長門守□□(藤原)朝□□□(臣時朝)」という刻銘が見られることから、笠間時朝の発願による造像であることがわかっています。

〇木造不動明王立像と木造毘沙門天立像
 千手観音立像が収められている収蔵庫にあります。
不動明王立像は、像高97.2㎝、鎌倉時代後半に造像されたものです。
寄木造で彩色が施されており(現状の紙貼彩色は近世の補彩であり、当初の布貼サビ下地が残る)、彫眼が施されています。
毘沙門天立像は、像高99.8㎝、鎌倉時代後半に造像されたものです。
割矧造(わりはぎつくり)で彩色が施されております。
後世の補彩がされており、彫眼です。
彩色の下地は不動明王と同様であることから、同時期一具の作であると考えられます。
現在の本堂。
ここに

「市指定文化財 木造大日如来坐像」が収められているらしい。
今回は非公開。

製作:14世紀初期~14世紀後半
像高:61.2㎝
指定:平成20年2月26日
 楞厳寺本堂に安置されており、寄木造の玉眼嵌入です。
肉身部は金泥、衣部は彩色されていましたが、剥落が進んで現在は古色の状態です。
智拳印を結ぶ金剛界の大日如来坐像で、像底を上げ底式に刳り(えぐり)残しています。
台座の蓮肉部も本体と同時期の作と考えられますが、彩色は後補されたものです。

最後に、もう一つの国指定天然記念物をご紹介
「片庭ヒメハルゼミ発生地」
指定:昭和9年12月28日
 楞厳寺裏山のシイの大木を中心とした森と、八幡神社境内のシイの森では、ヒメハルゼミが生息しています。
主に西日本に生息し、茨城県と新潟県は生息地の北限である。
体長は小さく、オスは(体長)24mm、メスは27mm位です。
6月下旬から7月下旬まで発生し、一匹が鳴き出すと一斉に合唱するという珍しい習性を持っています。

まだ姿を確認したことも、撮影したこともないので、来年こそは、と思うのだが。
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