たわごと~産業カウンセラーとして~

資格取得後もまだまだ研鑽の日々です。勉強会で感じたことを中心に、日々思う事や季節のことレシピまで自分を表現する日記です。

伝わらない言葉

2010-08-11 13:23:40 | 日々の雑感
最近、昔のある知り合いに会って話をする機会がありました。
感情的に考え、行動する人で苦しんでいる様子だったので、カウンセリングの話など少ししたのですが、まったく否定的な感覚をもっていました。
そんなのはきれいごと…と言わんばかりの…

きっと感情的になっていたので仕方ないのかもしれませんが、えっ??という考え方だったので、幸せになるためには、自分を見直してみようよといったら、この感情的になる自分が大好きで変わるつもりはないというので、それ以上はなにも言えなくなりました。

そう、きれいごと…私もうすうす、自分はきれいごとばかりを並べ立てているのではないか…と感じていたので、こういう人に今、会った事は、なにかのメッセージではないかと考えました。

自分は今まで負の感情を抑えてきたわけではなく、それを認め、コントロールするように努力を重ねてきた…見方を色々と変えてきました。
そのおかげでもあって、悪いほうへ物事を考えることが少なくなり、自分の中にしっかりとした「何か」があり、揺らぐことがないと思っています。
またまたこれも、言葉では言えない感覚の領域ですが…

でも、その人は、そんな私を無理をしているんでしょうと言います。
そうですね、その人の枠組みからみれば、そんなのうそだし、無理して我慢しているとうつったのでしょう。

その人にはまったく私の言葉は伝わらなかったのです。
やっぱり感覚的なものは、言葉で伝えられない…まだまだですね。

言葉が難しいのは、伝わる、伝わらないは、相手の受け取り方によるものだからです。
わかってはいたけど、そうだいろんな人がいるんだと、またこのように考える人のほうが、本当は多いのではないかと改めて見直す機会をもらったんだな~と感じました。

カウンセラー仲間や、私の周りの人とのやりとりで、物事を悪いほうへばかり考える人があまりいません。これはもちろんありがたい事ですが、常々、本当は何か違うんじゃないか、と漠然と思っていました。現実の世の中は、もっとどろどろしているものであふれているんではないかと…

じゃ~私に何ができるのか…う~~ん、まだなにもできないな~
とすれば、自分。もっと研鑽していこうっと…

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すいかさん (komo)
2010-08-12 18:08:17
はじめまして。訪問ありがとうございました。

カウンセラーも色々な人がいますよね(笑)
先生も仲間でもひとりひとりまったく違います。
言ってることと行動がなんか違うかなって思う人も。
やっぱり弱い人間ですから…

すいかさんは看護師さんなのですか?
大変なお仕事ですよね。頭がさがります。
カウンセリングの勉強はきっと日々の業務に活かされているでしょうね。
頑張ってくださいね。

私にとってカウンセリングの勉強は、自分が楽に生きるための術を教えてくれました。
まだまだですが、勉強を続け、本当の意味ですべてを受け入れられるようになった時が、人のお役に立てるのではないのかなと感じています。
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宮崎の金魚さん (komo)
2010-08-12 17:54:34
よい言葉をありがとうございました。
「神の慮り」知らなかったです。

常不軽菩薩のお話もなるほど、そうだな~と思いました。
人は、悪い感情のほうが共鳴しやすいものなんですよね。

カウンセラーはある意味、蔑まれているかもしれない…
でもでも、それでもいい、何かをしないよりしたほうがいい…
マザーテレサの言葉どおりです。

そんな気持ちで日々、研鑽していきます。
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はじめまして (すいか)
2010-08-12 09:26:03
私も初めカウンセリングに悪い印象をもっていました。なぜかというと看護学校の時のカウンセリングの授業で講義をした先生の印象がすごく悪かったからです。
授業の中で「今まで一番辛かったことを話して下さい」と順番にあてられ、私はみんなの前で話したいことではなかったので特にないですと言ったらその先生は「幸せな人生を送ってきたんですね」と言いました。話させようとしてそういったのかも知れないけれど、でも、カウンセラーってこんな風にいう人なら別に勉強しなくてもいいやって思いカウンセリングアレルギーになりました(笑)
友人がその先生にほれ込んでおり、セミナーにも誘われましたが全く行く気にならず、
数年後、あの先生はちょっと独特かも?という先輩の言葉に、それならと思いなおし参加した別の先生のカウンセリングのセミナーでカウンセリングを誤解していたことに気づき、今は、通信制大学で心理学を学んでおり、カウンセリングも勉強しています。
ひとの言葉って自分が聞こうとか変わろうとか思っているときでないとなかなか受け入れられないんですよね。
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こんばんは (宮崎の金魚)
2010-08-12 04:58:02
民主党の仕分け事業のように、理屈で白黒はっきりさせて処理していく日々の仕事や日常の生活の部分と、はっきりさせることでは解決しない周囲の(他人との関係その他)問題とかの混在で、毎日をすごしている気がします。

ボクは宗教とは無縁ですが、「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」という話を思い出しました。

インドの小乗仏教は、ひとつの修行をやり通して悟りを得るという考えで、例えば片手を上に突き上げて1年中そうしているとか。

この常不軽さんは、人に会うたびにただ「私はあなたを軽んじません、敬います」といって合掌する修行をして、会う人から、逆に腹を立てられ、ののしられ石を投げられ、ムチで打たれて、そして最後、悟りの人(菩薩)になったそうです。

カウンセラーって、この常不軽菩薩のような感じがします(笑)。
komoさんの文章を読んでて、「ラインホルド・ニーバーの祈り」や、大学病院の壁に書いてあったある患者の詩「神の慮り」が連想されました。(ご存知と思いますが、ネットで検索するとすぐ出てきます)。

結局、宗教とカウンセリングは紙一重、同じ問題の取組み角度が違うだけかもしれません。

学生時代の友人に教員が結構いるのですが、学内にいるスクールカウンセラーをぼろくそに言います。現場のある教師から見ると、無責任に見えるのでしょう。

午前4時に見ているため、KOMOさんの文章のある一部に自分の感情がフィットしました。
そんなようなことは書いてない!ということでしたら早朝のボケとしてお許しくださいませ。(再笑)
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