寒い朝!寒暖を繰り返しているが、晴天で放射冷却で一挙に気温が下がったようだ。
薄い布団で寝たのが悪かったか、鼻水が・・・風邪のひき始めか?喉も痛いが・・・・
今日の天気は良さそうなので、行って見たかった能古島へ、今秋最高の日本晴れとなった。
北九州から3号線をのんびりと福岡へ南下て、姪浜を目指します。
福岡市西区の姪浜旅客待合所(能古渡船場)と能古島を結ぶフェリー
福岡市営渡船月曜日と言うのに、臨時便が出て満員です。
20分程乗船すれば能古島到着、ヤフオクドーム対岸に見えます!
バスも臨時便が出て、ピストン運行だとか・・・急ぐ事もないので港を散策、レンタル自転車やのこのしまバガー屋さん
少し早いが、ここで昼食(漁師丼)を頂くことに・・・
バス停で並んでいたら、ふてぶてそうな猫がのっそりと・・・
本来は一時間に1本運行だが、次のフェリーが到着した。
バスで10~13分細い山道をバスで揺られると「のこのしまアイランドパーク 」へ到着します。
ここでは春の菜の花・秋のコスモス・冬の水仙が有名だそうで、今はコスモスが満開です。
季節外れのつつじの花が・・・
桜も僅か一花咲いていた。
コスモスの育苗中かな~
レトロな展示物・・・子供の頃沢山見かけたオート三輪
紙芝居も・・・・
囲炉裏・・・良いですね。
大家族用の釜戸
このレトロな街並みを抜けると、海が見えてコスモス畑が広がります。
規模はそんなに大きくはないが、志賀島が一望でき、海辺に広がる花畑は素晴らしい。
「コスモス畑とカミさん」絵になるかな~
青空にトンビが気持よさそうだ!
ここの一角に、太平洋戦争の真っ只中に、愛する妻と幼い子供3人を残し、満州に出征
沖縄へ転戦し32歳の若さで戦死した伊藤半次さんの絵手紙を紹介した建物がある。
彼が過酷な戦地から家族に送った、明るいタッチの絵や愛情あふれる手紙を紹介している。
家族が心配するようなことは一切書かず、『いま少しの辛抱だ。どんなに苦しいことがあっても負けてはいけない』
『苦しいこと辛いことほど後日のためには良い体験となる』と励まし続けた手紙・・・戦争の不条理差ではなく、戦地から愛のメッセージ
伊藤半次の400通の絵手紙にこめられた家族の絆・・・感動ものです、いつい居ついてしまった。
この島はコーヒー豆も栽培しているようで、可愛い喫茶店もあります。
高台にグランドがあって、ここで凧揚げや竹馬等で遊べます。
秋空の気持ちの良い日差しを受けて、昼寝をしているカミさん・・・
サルビアやダリアも綺麗に咲いています。
ウサギやヤギとの戯れも出来ますよ・・・
なが~いブランコも・・・
帰る時間も迫ったので、バスで港に戻ります。到着寸前にフェリーが出た!
次は臨時便も無くなって、1時間後になっている。待ち時間にコーヒーを飲みながら、遅ればせながら能古島の勉強をしてみた。
能古島は、博多湾の真ん中にあり、周囲12㎞、人口約800人の海に囲まれた緑豊かな、自然と歴史に恵まれた美しい島です。
能古焼古窯跡・ 能古博物館・白鬚神社(奈良時代の創建)・北浦城跡・早田古墳群などの名所もあるとか・・・
放浪の作家、檀一雄が晩年を過ごした島でもあり、娘の檀ふみの著書『父の縁側、私の書斎』に島での一雄の生活が述べられている。
檀が詠んだ最後の句である「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん」の文学碑もあるらしい。
江戸時代の後期、能古島は黒田藩の鹿の狩猟場であった。ところが田畑への鹿の被害が著しかったため
役2kmにわたり島を南北に分断する石垣を築いたとか・・・もっと時間があれば訪ねて見たいところが沢山あります。
そうこしているうちに、外をみるとフェリー待ちの人が行列を作っています。
急いで並ばなくてと・・・何とか乗れたが・・・積み残された人が沢山いるが、1時間待つのかな~
西日が傾いて・・・短い・短い能古島の旅は終わりました。
姪浜旅客待合所に到着です。
隣の駐車場から家路を目指して・・・帰る頃にはすっかり暗くなっていました。
薄い布団で寝たのが悪かったか、鼻水が・・・風邪のひき始めか?喉も痛いが・・・・
今日の天気は良さそうなので、行って見たかった能古島へ、今秋最高の日本晴れとなった。
北九州から3号線をのんびりと福岡へ南下て、姪浜を目指します。
福岡市西区の姪浜旅客待合所(能古渡船場)と能古島を結ぶフェリー
福岡市営渡船月曜日と言うのに、臨時便が出て満員です。
20分程乗船すれば能古島到着、ヤフオクドーム対岸に見えます!
バスも臨時便が出て、ピストン運行だとか・・・急ぐ事もないので港を散策、レンタル自転車やのこのしまバガー屋さん
少し早いが、ここで昼食(漁師丼)を頂くことに・・・
バス停で並んでいたら、ふてぶてそうな猫がのっそりと・・・
本来は一時間に1本運行だが、次のフェリーが到着した。
バスで10~13分細い山道をバスで揺られると「のこのしまアイランドパーク 」へ到着します。
ここでは春の菜の花・秋のコスモス・冬の水仙が有名だそうで、今はコスモスが満開です。
季節外れのつつじの花が・・・
桜も僅か一花咲いていた。
コスモスの育苗中かな~
レトロな展示物・・・子供の頃沢山見かけたオート三輪
紙芝居も・・・・
囲炉裏・・・良いですね。
大家族用の釜戸
このレトロな街並みを抜けると、海が見えてコスモス畑が広がります。
規模はそんなに大きくはないが、志賀島が一望でき、海辺に広がる花畑は素晴らしい。
「コスモス畑とカミさん」絵になるかな~
青空にトンビが気持よさそうだ!
ここの一角に、太平洋戦争の真っ只中に、愛する妻と幼い子供3人を残し、満州に出征
沖縄へ転戦し32歳の若さで戦死した伊藤半次さんの絵手紙を紹介した建物がある。
彼が過酷な戦地から家族に送った、明るいタッチの絵や愛情あふれる手紙を紹介している。
家族が心配するようなことは一切書かず、『いま少しの辛抱だ。どんなに苦しいことがあっても負けてはいけない』
『苦しいこと辛いことほど後日のためには良い体験となる』と励まし続けた手紙・・・戦争の不条理差ではなく、戦地から愛のメッセージ
伊藤半次の400通の絵手紙にこめられた家族の絆・・・感動ものです、いつい居ついてしまった。
この島はコーヒー豆も栽培しているようで、可愛い喫茶店もあります。
高台にグランドがあって、ここで凧揚げや竹馬等で遊べます。
秋空の気持ちの良い日差しを受けて、昼寝をしているカミさん・・・
サルビアやダリアも綺麗に咲いています。
ウサギやヤギとの戯れも出来ますよ・・・
なが~いブランコも・・・
帰る時間も迫ったので、バスで港に戻ります。到着寸前にフェリーが出た!
次は臨時便も無くなって、1時間後になっている。待ち時間にコーヒーを飲みながら、遅ればせながら能古島の勉強をしてみた。
能古島は、博多湾の真ん中にあり、周囲12㎞、人口約800人の海に囲まれた緑豊かな、自然と歴史に恵まれた美しい島です。
能古焼古窯跡・ 能古博物館・白鬚神社(奈良時代の創建)・北浦城跡・早田古墳群などの名所もあるとか・・・
放浪の作家、檀一雄が晩年を過ごした島でもあり、娘の檀ふみの著書『父の縁側、私の書斎』に島での一雄の生活が述べられている。
檀が詠んだ最後の句である「モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん」の文学碑もあるらしい。
江戸時代の後期、能古島は黒田藩の鹿の狩猟場であった。ところが田畑への鹿の被害が著しかったため
役2kmにわたり島を南北に分断する石垣を築いたとか・・・もっと時間があれば訪ねて見たいところが沢山あります。
そうこしているうちに、外をみるとフェリー待ちの人が行列を作っています。
急いで並ばなくてと・・・何とか乗れたが・・・積み残された人が沢山いるが、1時間待つのかな~
西日が傾いて・・・短い・短い能古島の旅は終わりました。
姪浜旅客待合所に到着です。
隣の駐車場から家路を目指して・・・帰る頃にはすっかり暗くなっていました。
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