先日、ある新聞に谷川俊太郎さんの詩のあるフレーズに、一般のひとが自分の思いを書き足すという取り組みが紹介されていた。
その詩の題名は「生きる」
谷川俊太郎さんは「生きる」ということをこんな風に書いている。
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐということ
:
:(中略)
:
:
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
すべてを書き記すことはできないが、改めてこの詩にふれてみると「生きる」ということが、それぞれひとによって異なることに気がつく。
私たちは日頃、生きていること、生命があること、そしてそれが明日も続くのだと当たり前のように思って生きている。
しかし、実際はそうではない。
明日は生きていないかもしれないし、もしかしたら今日、あるいは数分、数十分、数時間後に生きている保証はない。
確かなのは「今、生きていること」それしかないのだ。
今回、谷川俊太郎さんの詩から、「生きる」について考え、言葉にするということがひとつのブーム、流れになったことは、「生きること」を当然のように捉えてきた私たちに、自分にとっての「生きること」とはどういうことなのかを再考させるよい切っ掛けになったのではないだろうか。
そして同時に「生命」や「死」についても考える機会を与えてくれたように思う。
あまりにも現代は「生きる」ことの意味や価値を軽視している。
ひとを安易に殺めるという行為はもちろん、結婚はおろか、当たり前に生活をすることさえできない給与で働かされる若者たちが溢れる現在は、どう考えても当たり前だとは思えない。
もっと私たちは「生きる」ことについて真剣に考え、向き合っていかなければならないのではないだろうか。
最後に私の「生きているということ」
生きているということ
今、ここにいるということ
嬉しいということ
喜ぶということ
悲しいということ
苦しいということ
愛しているということ
愛されているということ
ありのままであるということ
すべてを受け入れるということ
とらわれないということ
自由であるということ
生きているということ
生命を感じること…
ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com
ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』
http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora
ブログ『珈琲ぶれいく』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-iyasi-sora
ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada
元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』
http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php
日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』
http://www.therapy.jp/messages.shtml
その詩の題名は「生きる」
谷川俊太郎さんは「生きる」ということをこんな風に書いている。
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐということ
:
:(中略)
:
:
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
すべてを書き記すことはできないが、改めてこの詩にふれてみると「生きる」ということが、それぞれひとによって異なることに気がつく。
私たちは日頃、生きていること、生命があること、そしてそれが明日も続くのだと当たり前のように思って生きている。
しかし、実際はそうではない。
明日は生きていないかもしれないし、もしかしたら今日、あるいは数分、数十分、数時間後に生きている保証はない。
確かなのは「今、生きていること」それしかないのだ。
今回、谷川俊太郎さんの詩から、「生きる」について考え、言葉にするということがひとつのブーム、流れになったことは、「生きること」を当然のように捉えてきた私たちに、自分にとっての「生きること」とはどういうことなのかを再考させるよい切っ掛けになったのではないだろうか。
そして同時に「生命」や「死」についても考える機会を与えてくれたように思う。
あまりにも現代は「生きる」ことの意味や価値を軽視している。
ひとを安易に殺めるという行為はもちろん、結婚はおろか、当たり前に生活をすることさえできない給与で働かされる若者たちが溢れる現在は、どう考えても当たり前だとは思えない。
もっと私たちは「生きる」ことについて真剣に考え、向き合っていかなければならないのではないだろうか。
最後に私の「生きているということ」
生きているということ
今、ここにいるということ
嬉しいということ
喜ぶということ
悲しいということ
苦しいということ
愛しているということ
愛されているということ
ありのままであるということ
すべてを受け入れるということ
とらわれないということ
自由であるということ
生きているということ
生命を感じること…
ホリスティックカウンセリング『宙』(sora) http://www.kokoro-sora.com
ブログ『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』
http://blog.goo.ne.jp/kokoro-tobira-sora
ブログ『珈琲ぶれいく』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-iyasi-sora
ブログ『ボディフォーカスト・アプローチ』 http://blog.goo.ne.jp/kokoro-sora-karada
元気読本WEB 身体と心の不思議な関係』
http://www.genki-book.jp/columns/mental/-22-005534.php
日本カウンセラー学院ブログ 『講師のひとりごと』
http://www.therapy.jp/messages.shtml