より最近のより実質的な歴史的先例を考慮するべし
他方、清王朝は特に18世紀にPRと分離主義問題の実際的な解決両方の実用的な先例をもたらしている。清時代は北京がチベットと新疆、モンゴルと台湾を主要な中国の省と同様に統治しまたある種の安全の監督を謳歌した時代であった。違う土地には異なった行政システムが適用された、しかしその帝国は言語、文化、宗教の多様性の顕著な寛容さにより特徴づけられたのである。
1950年代もまた、中華人民共和国は原則上は、実際はそうでないにしても非漢族少数民族に自治と文化的な保護をもたらした。今日、国境を越えた話し合いの中に、そして国民国家システムを補完する新しいシステムを求めて、多民族国家により提議される、イデオロギーに関するあるいは政治的な諸問題への新しいアプローチの為の世界的な必要性がある。中国は史的な誠実性と本物の国家威信と共にチベット、新疆、香港、台湾またどこでもの自治と文化保護の諸問題の創造的解決を創出するために清王朝や初期の中華人民共和国を利用して、容易に「未来に戻ること(Back to the future)」に関心を向けることができるはずだ。西欧色の濃い国民国家の諸問題を中国色の考えにすえてみてはどうか。役に立つ中国モデルは他の国々でさえ採用されるかもしれないだろう。
中国が諸問題を抱えていることを否定しないこと、代わりにそれらの諸問題が如何に他の国々のものと似ているかを見据えること。
中国はその規模において類が無い、しかし公害、腐敗、また経済発展と社会の最貧困者の福祉とのバランスを管理することの問題を抱えていない国があろうか?中国の歴史的環境から派生したチベット人やウイグル人との論争でさえ、どこにでも同じようなものはある。民族―宗教の多様性はヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア等の西欧民主制諸国で異議を提議している。インドは重大な分離主義者の問題を持っているが、同じような帝政の遺産から派生したものである。しかし、苛酷な戦術にもかかわらずインドは中国がチベットや新疆で行っているようなアッサムやカシミールにおいてでさえその対処法の国際的な批判に悩んではいない。そのことの相違の理由の一つはインドの公開性と自国の活発な新聞によるこれらの問題への広範な論議である。
2008年3月下旬、数百人ものイスラム教徒ウイグル人女性達が新疆のホータン市の街路に繰り出した。その一部は政府事務所内でのヘッドスカーフの着用への制限のためであったといわれる。中国のメディアはこのことを報道しなかった、しかしどうにかしてニュースは伝わる、そしてこれからもそうだろう。世俗の公的な施設においてヘッドスカーフを着用することの制限はよい政策だと思うならばそれは中国だけではない、トルコとフランスでも同じような政策がある。なぜこの話を隠すのだ?多文化であるが公式に世俗の国家で宗教的シンボルの地位に関する世界的な議論になぜ参加しないのだ?この種の問題に関する率直な認めあいと用意周到な考慮は、中国を世界から離れて背を向ける存在にするのでなく、他の大国と同じような位置につけることだろう。
報道には報道させよ。透明度は信用を危機に陥れる。
中国ではある程度メッセージを管理できると思っているだろうが、国際的には検閲され宣伝色の濃いニュース報道の結果として中国は信用性の欠如に悩んでいる。これが西欧メディアが、ウイグルテロリストの恐怖やダライラマに扇動されているごく少数をのぞいてチベット人は幸福だという主張に対して懐疑的であるかの理由である。SARSの突然の発生を包み隠したことは中国の世界的な広報にとって打撃であった、SARS自体の突発の事実よりも訳が悪かった。
他方、中国の比較的オープンで協力的な反応は輸出玩具、医薬品その他の製品の安全の諸問題は明らかになったことにつづいた中国の「ブランド」に対するダメージを制限するのに役立った。自身のプロパガンダ宣伝を信じることは中国の問題をより悪化させる、中国の中央当局はこの3月に噴出するまでにチベットの不満の深さと広がりに何の考えも持っていなかったことは確かだと思われる。
プロパガンダと言論コントロールはある程度の短期の利益を生み出しうる。しかし真実は外部に出る。そして真の知識は真の力を生み出しうる。中国が国内外のジャーナリストや学者を排除したり、弾圧するよりもむしろ耳を傾ければ、中国は良くなるだろうし、世界から慨してより尊敬の目を受けることになるであろう。
カッコよくなれ、北京
これらの6点のポイントはより簡潔に要約される。
信念を持ち、正直であれ、防御的で秘密主義でなく。
明らかなことなのに無条件での否定、敵意に満ちた言い方、制限された歴史学的議論、問題を起こしたのは外国人だという精神分裂症的主張、これら全ては中国を悪く見せる。そして中国は悪く見えることを求めていない。更に、世界は中国が悪く見えることを求めていない。中国は貧困の緩和のかつて無い記録、ものすごい経済成長、光り輝く新建造物、教育の高いレベル、宇宙計画、何兆もの海外資産、浪費家のアメリカ人がうらやむ貯蓄率、オリンピック金メダル量産国になるだろうということ、長い歴史と輝く文化はいうまでもなく、に誇りと確信がある多くのものを持っている。
もちろん、中国には問題がある、しかし問題の無い国などあるか?中国から新疆とチベットを奪い取ろうなどとするものはいない。もし中国がこれらの地域で騒乱に対して抑制された反応をして政治家的な「怒りよりも悲しみを」報道してこれらの騒乱の元になる経済的、文化的、そして政治的問題を否定するのでなく解決しようとすることの利益を示すならば、中国はいじめっ子として見られずに、世界の理解と同情を集めることができるであろう。
最後に、金晶と他の中国人聖火ランナーは守れ、しかし聖火を防衛する「人民武装警察」を止めさすべし。IOCに不可侵の自身の枠組みの為に心配させるべし、そして外国の警官に外国の聖火ランナーを攻撃する外国の抗議者を扱わせるべし、さもなくば中国は中国人がデモ参加者を打ち据えるもっと多くの映像を世界中のメディアに撒き散らかすことになる。最低でも聖火防衛隊にヤーサンのようなグラサンをはずさせろ!
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