さる7月22日英国の新聞The timesのウェブサイトの記事でカシュガルからそのMichael Sheridan記者がウイグル情勢にかなり突っ込んだレポートを発表した。
今年はじめに銃殺刑にあったイスマイル・セメド氏の遺族を取材したり、1997年2月のグルジャ事件の中国漢族側の人間(元人民武装警察隊員)にインタビューしたりしているところが衝撃的なところである。紹介します。
サンデータイムス誌
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/asia/china/article2116123.ece
中国人の死刑執行人がイスマイル・セメドの元に来たのは朝の9時であった。執行人たちはセメド氏が東トルキスタンと呼ぶこの地の天山山脈から日が昇るときに彼を独房から導き出した。
処刑の前の日、彼は妻のBuhejer、息子7歳、娘6歳に会えた。監獄での3年と秘密裁判からの15ヶ月の不安の月日、10分間の別れを告げる時間が与えられた。
セメドは37歳だった。一人のムスリムで政治的な活動家、彼は殺人やどんな暴力でも有罪だったのではなかった。
三人の中国人裁判官が「祖国分裂未遂」と銃および爆発物の所持で死刑を宣告された。セメド氏は拷問され自白に追い込まれたのだと言った。セメド氏に対する証言をした二人の男はすでに死んでいた、1999年に処刑されたのだ。
家族との最後の時間、両親、兄弟姉妹がそこにいた。全員が泣いていた、彼は運命を静かに受け入れた。
「無実を証明するために全力を尽くした。君と二人の子供を残した去るのは残念だ。子供達の世話を頼む、良い教育を受けさせてやってくれ。」セメド氏は妻に言った。
終わりの時は突然やってきた。その朝監獄で一団の収監者が処刑された。2月8日中国の政府職員は確認した。
職員らはセメド氏の死体を埃っぽい敬虔なムスリム達が墓のしるしの墓石もなく横たわり休む共同墓地で彼の家族に引き渡した。
妻のBuhejerさんはこの禁じられた土地の普通のニュースのただ一つのソースであるラジオフリーアジアのある記者の電話に話した。
「ただ1つの銃痕を見ました。」「彼の心臓に」
彼は中国の最西部の900万のムスリムたるウイグル人の一人である。彼らトルコ系の人々は国家的アイデンティティを求めているがそれは1つの失われた歴史上の大義のひとつである。
1990年代、消えかかっている彼らの闘争の残り火は抵抗運動、銃撃事件、爆発事件の中に燃え盛った、すべては2001年9月11日までは世界から隠蔽された、そして中国が「対テロ戦争」の使い勝手を発見するまでは。
今日、中国は新疆への管理統制を保障するためにプロパギャンダと安全の闘争を推し進めている。新疆はその名を鉱物や石油やガスの戦略的な供給が豊かな広大な州として高くするが、中国の拡大する経済にとって不可欠である。
中国はアルカーイダがアメリカと国連がテロ集団として分類している、1000人以上の「東トルキスタンイスラム運動」のメンバーを訓練してきたと主張している。
このグループは短命であった、第2次世界大戦後に新疆で独立宣言して1949年の共産革命で鎮圧された、東トルキスタン共和国から名をとっている。
(その2につづく)
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なるほど、新疆ウイグルでは文革状態が今でも続いているわけですか。外国人の目が届かないこともその理由に考えられますね。
さて、いま続きをやっているところなんですがもう少しお待ちください。
この前、コメント欄で管理人さんから教えていただいた映画「グアンタナモ」を見ましたが、「グアンタナモ」は世界中にあるようですね、ましてや中国、法もへったくれも無いでしょう。
>セメド氏は拷問され自白に追い込まれたのだと言った。セメド氏に対する証言をした二人の男はすでに死んでいた
文革みたいです、911テロを口実としてウイグルが往時の「右派」扱いされていますね、現在進行形で。
とてもひどい現状です。