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宮崎信行の国会傍聴記 ニュースサイト

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が3党協議を現地で取材したり国会中継を見たりして雑報を書いています。

民主党1年生議員の後藤祐一さん、参院本会議での答弁を実現 法案提出者として

2011年06月13日 21時29分52秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]参院本会議で答弁する、民主党衆院議員の後藤祐一さん、2011年6月13日、参議院インターネット審議中継からキャプチャ

【2011年6月13日(月)参院本会議】

 参院本会議が午後3時から開かれました。参本は(月)、(水)、(金)の週3回定例日となっていますが、5月2日(月)に第1次補正予算を成立させた本会議以来の月曜開催となりました。

 金曜日に衆院で可決した、「東日本大震災復興基本法案」(177国会衆法=衆議院での議員立法=13号)が議題となり、衆院側の黄川田徹・復興特別委員長が趣旨説明しました。その後の各党代表質問には、議長席に向かって右側に、委員長や法案提出者の衆院議員、左側に菅首相、野田財務相らが座り、質問に答えました。

 この中で、神奈川16区(厚木市など)選出の民主党衆院議員で、「政権交代チルドレン(1期生)」の後藤祐一(ごとう・ゆういちさんが委員会理事のひとりとして、答弁に立ちました。2009年8月の政権交代後、民主党1期生およそ140人のうち、参院本会議で法案提出者として答弁するのは後藤さんが初めて。

 自民党参院議員の元国土交通省の事務次官、佐藤信秋さんの質問に対する答弁。

 後藤答弁者は「復興庁の設置時期は、(当初提出されていた)閣法では、付則に「施行後1年以内を目途(もくと)にする」と書いてあった」としました。緊張しながらも、「目途」を「メド」ではなく「もくと」と発音したところには、自民党から菅首相に対して、「進退」に関するヤジがかなり飛んでいましたから、何らかの政治センスが隠れている可能性があると思いました。答弁に戻ります。「ただ、(1年以内では)あまりにも遅すぎる、というご提案を自民党、公明党のみなさんからいただきました。わが党のなかでも、これでは遅い、復興庁をしっかりつくる、と明記すべきだ、との意見が多かったんです。そこで与野党協議の場においては、政府案(閣法)を修正いたしまして、この法案の付則ではなく、本文の24条5項に明記し、できるだけ早期に、平成23年度中にも設置できるようにしました」と堂々たる答弁。ここで、自民党のヤジにこたえて「そうなんです、遅いんです」とあいのてを入れたところだけは、1年生らしさも出ましたが、「そのほか、野党のご提案を多く踏まえさせていただき、とにかく早く、良い法案になるようにさせていただきましたので、どうぞ(速やかな審議と可決・成立を)お願いします」と述べました。

 ◇

 政権交代の前段階で、後藤総支部長は、神奈川16区の自民党の亀井元農相の逝去による、選挙が2006年秋の統一補選に前倒しになり、野党民主党の多くの議員・秘書が厚木などに派遣され、闘いました。そのため、後藤さんの記憶が残っている人が多いようです。補選は、弔い選挙の同情論もあり、亀井ジュニアが当選しました。神奈川の県西地域では、全選挙区で自民党の世襲議員が連続して議席を独占してきています。

 そして迎えた第45回総選挙では、後藤さんが58・8%の驚異的な得票率で勝ちました。なお、亀井ジュニアは政界を引退する方向と、聞いています。神奈川16区は、中心都市の厚木市は、自動車部品メーカーが多く産業が盛んなため不交付団体ですが、愛甲郡という自然のむらもあります。関東在住のドライバーは、ラジオの渋滞情報の「東名高速の伊勢原バス停前では~」というフレーズに聞き覚えがあるでしょうが、あそこです。けっこう難しい選挙区ですが、「実現男」のあだ名の通り、後藤さんは政権交代を実現させました。当選後は、当時の幹事長(当時)自宅の新年会に参加させられ、その後、ご苦労があったようです。昨年6月の代表選では、菅直人候補の推薦人(党規約により20人以上25人以内)の1人に選ばれました。

 後藤さんは、官僚時代に内閣府特命担当に出向していましたから、こういう象徴横断的な組織の建て付けは“土地勘”があると思います。おどろくべきことに野党が長かった民主党の当選5回生以上で、私は2人以上、「内閣官房と内閣府の違い」がまったく分からない人を知っています。うち1人は小沢グループで、ナント大臣までやっていますが、「3・11」の時点では閣僚から外れていたのは不幸中の幸いでした。私に言わせれば、内閣官房と内閣府の違いが分からない奴に、与党はできません。

 「民主党もダメ、自民党もダメ」と言う人。気持ちは分かりますが、そう言うあなたがイチバンダメ。

 後藤祐一さんが衆院での与野党協議の経緯を紹介しながら、参院で答弁し、法案の審議・可決・成立をお願いします。完璧ではないけれども、「熟議の国会」は部分的にはできています。きょうも日本の国会が一歩前に進んだことを確認できた1シーンでした。それでも政治は変えられる、との強い信念を持ちましょう。

tags 黄川田徹 菅直人 野田佳彦 亀井善之 亀井善太郎 

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『悪党 小沢一郎に仕えて』石川知裕さんが初の著書を緊急出版 どんどん買ってね(^_^)v

2011年06月13日 13時45分32秒 | その他

[写真]石川知裕さんの初の著書『悪党 小沢一郎に仕えて』の表紙、朝日新聞出版、7月7日発売

 さあいよいよ、民主党系無所属の衆院議員の石川知裕(いしかわ・ともひろさんが初めての著書、『悪党 小沢一郎に仕えて』を2011年7月7日、緊急出版することになりました。版は雑誌「AERA(アエラ)」でおなじみの朝日新聞出版です。

 1995年、新進党党首だった小沢一郎さんの家の住み込み書生から、東京事務所の支持者周り、水沢事務所赴任、などを経て、衆院議員になり、与党・小沢一郎幹事長の秘書役まで務めた石川さんが赤裸々に余すところなくつづった本です。ぜひ、アマゾンなどで予約してください。あるいは、書店や、図書館に早めにどんどん予約を入れてください。また学校の先生は夏休みの課題図書に選んでみてはどうでしょうか。

 「いったい小沢一郎とは何だったのか?」というこの20年間のなぞにモヤモヤしている人は、読むことでスッキリとして、夏の暑さが吹っ飛び、秋になると、高い空を見上げ、少し落ち着いた心持ちを取り戻すことができるでしょう。みんなが疑問だった「あのこと」や、だれも知らなかった「こんなこと」がてんこ盛り。どうやら、噂によると、かなり驚くべき重大な内容が、書かれているようです。さらには、摩訶不思議なことに、この重大な内容は、立ち読みの人には読めないような細工(あぶり出しか?)があるとか、ないとか。冗談はさておき、立ち読みするんだったら、お近くの図書館へリクエストをどんどん入れていただきたく存じます。

 この本から、日本史がひっくり返るかもしれませんよ!

 石川さんは現在裁判のため、多額の訴訟費用がいりようとなっております。読まなくてもいいから、買ってくださいね(*^_^*) 大人なら、分かりますね! ぜひ、平積み、ベストセラー目指してよろしくお願いします。ご購入いただいた方は、必ず1年以上保管してくださいね。くれぐれも、amazonに1円で売りに出したりしないでください。レビューも4つ星以上でお願いします。図書館の貸し出しで順番待ちになった方は、お願いして2冊目の入荷をお願いしてくださいね。そのうえで、2週間たっぷり借りて熟読してください。どんどんご協力のほど、よろしくお願いします。


[写真]著者の石川知裕さん

 石川さんは講演で、小沢さんのエピソードを得意ネタにしていますが、曰く「小沢一郎は細かいことを気にしない」。そして、自分が小沢さんに仕えたときに、すでに小沢さんは野党第1党の新進党の「党首」だった。そして、解党後に、野党第2党の自由党の「党首」になり、そして、自自連立政権のときに離党者を出し、人数が減らしながら与党第2党の自由党の「党首」に。そして、連立離脱の際は、自民党の1本づりで、小池百合子さんらが抜け、半数以下の議席に落としながら、野党・自由党の「党首」へ。そして、石川さんは2005年の第44回衆院選の地元支部公募に受かり、総支部長に転身しました。その後、荒井聡さんの知事選出馬に伴い、2007年に繰り上げ比例復活当選したときには、小沢さんはまたしても、民主党の「党首」(代表)だったわけです。

 で、彼曰く「政治家の秘書は多いが、自分の仕えたセンセイがずーっと党首だったのは珍しい。でも党首をつとめる政党がどんどん小さくなっていったというのは憲政史上、私だけではないか」という話をよくしていています。そして、そのプロセスのまっただ中にいたときは、先が見えず辛かった、ということを赤裸々に話します。「そんなにハッキリ言って大丈夫なの?」と思うかもしれませんが、講演の前段階にその答えがあるんですよね。「小沢一郎は細かいことを気にしない」。

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