【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

衆・財金委筆頭理事の後藤田正純さんも正念場 平成23年度赤字国債発行法成立で信頼回復を

2011年06月03日 20時54分10秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

【追記 2011年6月4日(土)午前8時半】

 一部報道によると、後藤田正純さんが衆院・財務金融委員会筆頭理事を辞任、と伝わっています。現在、衆議院のホームページでは後藤田さんは委員からも名前が消えています。しかし、それは責任をとることではありません。後藤田さんにとって責任とは、経緯を知る財金委筆頭理事に復帰して、平成23年度の赤字国債発行法案と国税改正法案の2本を衆院を通し、参院に送ることです。【追記おわり】

 衆・財務金融委員会の野党側筆頭理事で、影の財務副大臣の自民党の後藤田正純さんのスキャンダルが、講談社の写真週刊誌「FRIDAY」の6月17日号(390円=特別価格、税込み)のトップを飾りました。後藤田さんには奥さんとお子さんがいるということですが、女性の腰に手を回して、接吻したり、その女性がなぜか、朝、赤坂議員宿舎から出てくるという写真が載っています。

 この国会は、その議員の「性根(しょうね)」が出る「正念場国会」であり、とくに会期中の3月11日以降の震災・原子力災害発生後は、「こういうときにこそ人は見られている」と繰り返しこのブログに書いてきました。

 彼はここまで、当初予算関連法案である、今国会の閣法第1号議案である「平成23年度の赤字国債発行法案(特例公債法案)」を6月にいたるまで、衆院すら通っていない、与野党問わない国会の怠慢の“戦犯”です。政治家というのは、その背中を多くの人が見ています。政治家は道が狭くても、前に進まなければいけませんが、つまずいたときには、背中を見ていた人がそっと本人に寄り添って励ましてくれるものです。既得権益に大胆に切り込む政治家の背中を見ていて、既得権益者たちの妨害でつまづいたときは、後ろから追いついてそっと肩を叩く。そして、また立ち上がり、前に歩き出す。それが政治家と支持者というものです。

 しかし、後藤田さんは、当初予算の4割の財源を手当てする法案を、党利党略で止めていました。国民と全府省と、交付自治体、そしてなにより財務省を敵に回した歩みでした。その背中を見て、つまずいた彼に、後ろから駆け寄って、その肩を叩いてくれる人はいないでしょう。ですから、後藤田さんがこのようなスキャンダルに見舞われたという件、もちろん奥様やお子様、奥様のファンの方々、その他関係者にお気の毒ではありますが、後藤田正純さんにとっては、身から出た錆であり、彼の「性根」がもたらした災いであり、まったく同情の余地はありません。

 実は、平成23年度赤字国債発行法案のメドが立たないため、財務省は当初予算の歳出の執行を5%抑えています。すでに成立し、1次補正までされた平成23年度総予算の歳出項目。これは、「2012年3月31日までその金額まで予算を使っていいよ~」という金額です。4月はいくら、5月はいくらという予算ではありませんし、四半期決算も中間決算もありません。あくまでも、来年3月31日までに執行していいという「権限」を各府省に与えている。それが予算の歳出です。

 その歳出の前提となる歳入の4割がいまだに手当てできない現状を招いた後藤田筆頭理事の党利党略にもとづく引き延ばし工作は、国民のクビを真綿でしめる行為にほかなりません。「震災の復旧・復興のスピードが遅い」と自民党は「スピード」をやたら指摘しますが、この「5%の執行抑止」も被災地のみならず、すべての国民に影響を与えています。さように、財政・マネーというのは、こわいものです。

 当初予算関連法案は3月1日までに衆院で可決し、参院に送られるのが常です。平成23年度の赤字国債発行法案は、2月23日(水)の衆財金で、財務大臣の野田佳彦さんから提案理由説明があり、審議入りしました。これだけでも、かなり窮屈でしたが、質疑は3月にずれ込みました。

 すでに当初予算の衆院通過で、参・予算委員会がスタートしていました。ですから、野田財務大臣は、午前9時~正午過ぎ、午後1時~午後5時過ぎまで、参議院に拘束されます。そこで、衆財金の古本伸一郎・与党側筆頭理事らが、野田さんの体も丈夫なことから、午前8時~午前9時、正午過ぎ~午後1時、午後5時~午後11時まで、「朝なべ、昼なべ、夕なべ、夜なべで審議をやろう」と呼びかけました。

 これに対して、後藤田さんは、3月8日(火)に渋々認め、自ら質疑のトップバッターに立ち、次のように述べました。「国対、与党のいろいろな失言なり、運営上の問題で、当委員会がおくれおくれしてきました」「この委員会は古い伝統の中で、原則があって、定例日以外はしない、また夜なべもしない、大臣出席、そういうことで今までやってきたわけでございますが、きょうこうして、夕なべといいますか、五時十分から七時十分まで。当初、与党の方からは朝の数十分、昼の数十分ということでありましたが、各委員にもおわかりいただきたいのは、我々はしっかりとしたまとまった時間で充実審議をしたいということで、では我々も、六時ではなくて七時まで、これから場合によっては八時、九時もあってもよかろうと私は個人的には思っておりますが、そういうことで皆様方にまず御理解をいただきたいと思います」と述べて、発言しました。

 ちなみに、3月8日時点で、後藤田さんは7時までの夕なべ審議だけではなく、午後9時前の夜なべ審議をしてもいい、と口先だけでは述べていますが、夜なべ審議は開かれていません。後藤田さんはどこか別の場所で夜なべをしていたのでしょうか。

 3月11日に大震災が起きました。そして、この法案の中にあった「税外収入2・5兆円の一般会計(基礎年金の財源)への繰り入れ」は、きゅうきょ、第1次補正予算で、復旧予算に振り向けることになりました。このため、現在、内閣は国会に法案の修正要求をして、それが認められた段階です。民主党、自民党、公明党の政調会長の3党合意(4月29日)に基づく、「バラマキ4Kの見直し」が済めば、この法案は短い文章ですので、すぐに閣議で修正決定し、国会に出すことができると考えます。

 後藤田さんの正念場。彼の政治家を続けたいのなら、やるべきことは、修正法案が国会に出たら、速やかに審議をして、採決することです。なお、昨年の通常国会で自民党は「平成22年度の赤字国債発行法」に賛成しました。

 正念場だ、こういうときにこそ人は見られているゾーーということで、慎重になっている国会議員もいるでしょうが、これは慎重になってもしょうがありません。今からどうなることではありません。ずっと前からあなたの背中を見てきた人がいるのですから、性根がバレルのは、運命であり、必然です。ターニング・ポイント(歴史的転換点)にあるきょう、その変化の荒波で、性根がバレル時期が前倒しになるだけのこと。それが第177正念場国会です。

 支持政党を問わず全国民、全府省、そして財務省の首を真綿でしめた政治家が、かような事態にいたったのは、必然です。

 なお、マスコミ用語で言うところの、「財務省が“刺した”」ということは、五分五分というところでしょう。後藤田さんは、「地震でずっと自粛、自粛でしたんでね。もうそろそろいいだろう、ということで飲みに行ったらこんなことに・・・」とフライデー記者に語っています。六本木のバーは、学生時代から通っていた店だったそうです。ちなみに、一部の民主党議員は、六本木のことを、「ギロッポン」と呼んでおり、「鼠先輩かよ!」と突っ込みたくなります。この辺の自民党と民主党の「六本木」の違いというのも、不信任案をめぐる情報戦での自民党の勘違いにつながっていると思いますが、金曜日の夜ですし、不信任政局の話はもう打ち止めにしましょう。無益です。

 それにしても、このニュース、googleでみると、香港でも韓国でも記事になっています。水野真紀さんってすごいんですね。

[衆議院会議録から抜粋引用はじめ]

第177回通常国会

衆・財務金融委員会

第6号 平成23年3月8日(火曜日)

    午後五時十分開議

○石田委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、平成二十三年度における財政運営のための公債の発行の特例等に関する法律案及び所得税法等の一部を改正する法律案の両案を議題といたします。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。後藤田正純君。

○後藤田委員 どうもありがとうございます。

 まず冒頭に、この委員会は、理事会協議の中で、また古い伝統の中で、原則があって、定例日以外はしない、また夜なべもしない、大臣出席、そういうことで今までやってきたわけでございますが、きょうこうして、夕なべといいますか、五時十分から七時十分まで。

 当初、与党の方からは朝の数十分、昼の数十分ということでありましたが、各委員にもおわかりいただきたいのは、我々はしっかりとしたまとまった時間で充実審議をしたいということで、では我々も、六時ではなくて七時まで、これから場合によっては八時、九時もあってもよかろうと私は個人的には思っておりますが、そういうことで皆様方にまず御理解をいただきたいと思います。

 今、先般も外務大臣がおやめになられた。いよいよ政権もレームダック状態になっている中、当委員会でも多くの法案を抱えております。また、国対、与党のいろいろな失言なり、運営上の問題で、当委員会がおくれおくれしてきました。

(中略)

○野田国務大臣 後藤田議員にお答えしたいと思います。

 私ども政府としては、あくまで九十二兆四千百十六億円の予算と、それを裏づける関連法案、この関連法案が年度内に成立しませんと、予算執行でさまざまな支障が出ます。これは間違いないと思いますので、これを一体として年度内に成立をするべく、その都度、委員会の御審議をいただくたびに懇切丁寧に御説明をさせていただき、御賛同いただくように全力を尽くしていきたいというふうに思います。

(中略)

○後藤田委員 世論調査を見ると、解散を早めるべきだというのがもう六割を超えて、今度は大連立をやれというのがまた六割ぐらいになっていて、そしてばらまきはもうやめろというふうになっています。

 変な話、六月に税制抜本改革をやるとき、大連立をやったっていいと思いますよ。そして消費税を上げて、そして解散する、そういうことも、国家を考えれば、一つの方法としてあると思いますが、そのことについてはまたこの委員会で問うていきたいと思います。

 きょうはありがとうございました。

[抜粋引用おわり]


不信任案大差で否決→菅直人内閣信任、とはいえ、菅さん、岡田さんは大いに反省すべきだ!

2011年06月03日 05時54分10秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

【2011年6月2日(木) 衆・本会議】

 本来は、国務大臣の報告「菅首相のサミット報告」とそれに対する各党代表質問が、1日の参議院に続き、議題となるはずでした。しかし、1日夜に自民党、公明党、たちあがれ日本が提出した菅内閣不信任案が緊急上程されました。

 投票総数445人、白票(賛成)152人、青票(反対)293人の大差で否決しました。これにより、菅内閣は第177通常国会において、信任されました。各法案審議はスピードアップすると思われます。

 これは、菅内閣というよりも、民主党内閣への信任ですから、民主党議員が賛成するというのは、憲政の常道からしてあり得ないのですが、やはり「政策好きだけど、統治法知らず」という民主党議員の特性もあり、一時は可決される可能性も出ていました。多少、マスコミがあおっていた面もあります。が、かなり危険水域までいったことは事実で、岡田克也幹事長、安住淳・国対委員長、藤村修・幹事長代理、三日月大造さんら国対副委員長の必死の引き締めで、大差で否決することができました。しかし、民主党代議士会で、菅首相が「一定のめどが着いた段階で」の辞任を示唆することになり、大差で否決したのもものの、「問題を先送りしただけ」という気もします。変化の激しいときには、こういうことがあります。羽田孜首相が退陣記者会見で「政局はもう終わりにしよう」と言ったことが、今でもこだまのように響きます。しかし、それは残念ながら間違いです。一度与党になったら、そこから、引きずり降ろされないよう、石にかじりついても努力しなければなりません。野党や小沢グループが政局をしかけてくる限りは、必ずそれを粉砕しなければならず、今回の岡田執行部の巻き返しは遅かったです。岡田克也幹事長は2日夜の記者会見で「執行部としても反省すべきは反省する」として、「幹事長として(就任後は)小沢問題(1月強制起訴)にかなりのエネルギーを費やさざるを得なかった。そして、大震災(3・11)後は、震災対応で、統一地方選(4月)の応援にも行けなかった」と反省しました。「若い議員が多いので、残り衆議院の任期が2年以上あるなかで、選挙の指導などコミュニケーションを密にしていきたい」と反省しきりでした。

 さて、内閣不信任案の審議です。趣旨弁明は自民党副総裁の大島理森さんでしたが、のっけから「民主党代議士会では~」と、その1時間ほど前の他党の内輪の会議の内容の引用から始まり、驚きました。この後の、石原幹事長の賛成討論でも「民主党代議士会では~」となりました。ここに自民党が負けた理由が分かりました。情報戦の時代になり、小沢グループ特有の「100人集めた」という質の低い情報に惑わされたのではないでしょうか。小沢グループは誰にでも声をかけます。そのため、執行部としては国対の班なども活用して、その会合の出席者から聞き取れば、その100人がどういう100人か分かります。いわば質の高い情報です。今回は後手後手だったとは言え、ケータイ電話・インターネットの時代でめまぐるしいリアルタイムの情報戦で自民党は負けたのです。派閥のボスが夜中に話したことが、そのまま翌日の国会のシナリオになっていた時代とは違います。そのころは内閣不信任案に与党議員が同調することはありませんでした。唯一の例外は、1993年の第126通常国会で、会期中の3月に最大のボス、金丸信・経世会会長が逮捕され不在になり、その3ヶ月後に、宮澤内閣不信任案が可決されました。そして、自民党幹事長代理の野中広務さんらがケータイ電話を持つようになると、リアルタイムで政治が変化するようになり、2001年の加藤の乱は、ケータイを駆使した野中幹事長、古賀誠総務会長ら執行部が宏池会を切り崩し、論功行賞で、古賀誠さんが総務会長から幹事長に昇格しました。古賀さんは宏池会会長の座も手に入れます。そして、小選挙区の時代になりましたから、総理の解散権はますます巨大な権力となっています。小沢グループは2度とこのような政局をもてあそんではいけないと思います。

 なお、野党が出した不信任決議案に賛成するという「国民への裏切り」をした松木謙公、横粂勝仁の2名を民主党常任幹事会は除籍しました。当然の処分です。2名の小選挙区は、自民党が強い(松木氏の対抗馬は自民党の武部勤さん、横粂氏の対抗馬は自民党の小泉進次郎さん)ので、刺客を立てるにしても、なるべく市議会議長経験者のように、実績がある人がいいと考えますが、内閣信任により、当面、解散はない見通しとなりました。また、小沢一郎氏については、穏便な対応をすることになりました。本来は除籍が当然ですが、新進党を解党した狂犬を野に放つのは危険です。公明党さんにすり寄るかもしれません。小沢氏は党員資格停止のまま、新進党解党を反省すべきです。また、ご家族の介護にも、もっと親身になられたらいかがでしょうか。

 衆・本会議では、山井和則さんの演説が胸を打ちました。ずっと厚生労働分野のこと、「命」のことばかりやってきて、厚労政務官を経て、畑違いの議員運営委員会理事として全委員会に目を通している山井さん。これは、営業部のトップセールスマンが会社全体のことを知るために社長室に移動したようなもので、49歳・当選4回生の山井さんが首相候補の養成コースに入ったことを意味します。

 その山井さんが、「被災地のホームヘルパーさん」の話、まさに命を守る命の話で震災対応に触れました。そして、野党にも頭を下げ、与党にも頭を下げ、「国会の存在意義が疑われる」とお願いしました。この演説の時点では大勢が決していたとは、山井さんの真摯な振る舞いは印象に残りました。菅さんや岡田さんには、こういう態度で示す面が欠けていました。この厳しい局面で、一定のめどが立つまで長期戦になるでしょう。菅さん、枝野さん、岡田さんら民主党7首脳らの覚悟が問われる「信任」となった2011年6月2日でした。

 なお、国会不信が高まったことから、参院での菅大臣問責決議案は、提出されない可能性が出てきました。マスコミのスポットライトを浴びることができなかった、民主党参院議員が不満を募らせているのではないかと懸念しています。余震、放射能ストレスは国会議員も同様のようです。ナントカ早く落ち着きたいものです。

 菅さんは2日夜の記者会見で「国会はいったい何をやっているんだ、と思った方も多いでしょう。とはいえ、私自身の至らない面も原因だった」と真摯に反省しました。一方、鳩山由紀夫氏は「岡田幹事長は嘘を付いている」と発言しました。これについて、岡田さんは日本テレビニュースで村尾信尚さんに対して「私は親から『絶対に嘘をつくな』と言われて嘘をつけない性格だ。政治家としては損をしている」と述べました。そこから勘案すると、「谷垣・小沢・鳩山」の「息をするように嘘をつく」ことを教えられた政治が家業の二世政治家による嫉妬・ねたみにもとづく政局に対して、「菅・岡田・枝野・仙谷」ら非二世政治家が勝ったといえるでしょう。日本が前に進みました!