新聞見てびっくりしました。清元のたて三味線の方で、歌舞伎座はもとより、演奏会、舞踊会の地方として活躍されていました。もちろん我が鯉男会でも、栄三郎さんからご紹介頂いてからのお付き合いですから、もう何年になるのでしょう。先の30回記念公演の折も清寿太夫さんとお願いしたのでした。演目を決める時に母と清元の「神田祭り」にしたのはこうなってみれば何か導かれたのでしょうか?、此方の息合いを汲み取って弾いてくださるから大変踊りやすく、気持ちよく芸者になれました。自分で清元をやっているのでその難しさは良く分かるので、秀二郎さんの音締め、運びの上手さの貴重なことが惜しまれます。ご冥福をお祈りいたします。