父、西川鯉男は6月22日心不全の為、亡くなりました。75歳でした。生前の皆様のご厚情に感謝いたします。
24、25日に近親者と古いお弟子さん達で密葬を済ませ、7月10日(火)1時~2時富岡斎場にて本葬の予定です。
思えば3年半前に地下鉄の階段で転倒、頭を打って、手術、入院、リハビリと入院加療を続けておりましたが、その甲斐も無く、逝ってしまいました。
入院中は波はあったものの、このところ大変体調が良く、浴衣浚いの開催を楽しみにしていて、当日も顔色良く元気にしておりまして、全く急なことで、家族はただ驚いております。悲しいと言うより、驚いていてまだ信じられない思いで一杯です。
密葬では大好きだった清元の「浮かれ坊主」で出棺いたしました。三味線は故清元益寿郎(義兄)唄は故清元登志寿太夫、科白に父の元気な声が入っているのは切のうございました。お棺には着物、扇はもとより家族の写真やらなにやら、それに糖尿になってから禁じられていたタバコも入れました。
26日には家元にも名古屋からおいで頂いて、ゆっくりお話できたと母も大変感謝しておりました。皆様に愛されて、幸せな一生だったと思われます。ありがとうございました。
24、25日に近親者と古いお弟子さん達で密葬を済ませ、7月10日(火)1時~2時富岡斎場にて本葬の予定です。
思えば3年半前に地下鉄の階段で転倒、頭を打って、手術、入院、リハビリと入院加療を続けておりましたが、その甲斐も無く、逝ってしまいました。
入院中は波はあったものの、このところ大変体調が良く、浴衣浚いの開催を楽しみにしていて、当日も顔色良く元気にしておりまして、全く急なことで、家族はただ驚いております。悲しいと言うより、驚いていてまだ信じられない思いで一杯です。
密葬では大好きだった清元の「浮かれ坊主」で出棺いたしました。三味線は故清元益寿郎(義兄)唄は故清元登志寿太夫、科白に父の元気な声が入っているのは切のうございました。お棺には着物、扇はもとより家族の写真やらなにやら、それに糖尿になってから禁じられていたタバコも入れました。
26日には家元にも名古屋からおいで頂いて、ゆっくりお話できたと母も大変感謝しておりました。皆様に愛されて、幸せな一生だったと思われます。ありがとうございました。