最近の神戸はポカポカ陽気、今日も
なぜかわからないが、昨日から少し腰痛が・・母親も昨夜定期診察で医院に、
医院の部屋の温度が高かったのか血圧が170、
高齢になると順応が鈍ってくる、とりあえず様子を見ることに
今日午後から税務署と区役所に寄り、その足で柳原の恵比寿さんへ
沢山の方がお参りしている、「商売繁盛で笹持って来い」
なぜか掛け声が聞こえてこない、それもそのはずお参りしていたのは
手前の「福海興國禪寺」開運大黒天、パソコンで画像を見て始めて気付く
何をしに行ったのやら、あぁ疲れている!まったく気付いていない
これでは今年の商売、先を思いやられる
後知り合いグループの写真プチ展示会を見て帰る
なんでいっしょにあるのかずっと不思議だったのですが、しらべてみると、
柳原のえびすさん自体そんなに古い祭りではなく、前の前の宮司さんが、柳原町内や柳原商店街や福海寺の協力をえて、西宮のえべっさんの繁栄を参考に始めたようです。
えべっさんは境内が今よりもっと境内が狭かったため、近隣の協力無しではお祭りが出来なかったようです。最初の頃はぜんぜん賑わってなく、宮司さん自身が鍋釜を棒でたたいて、兵庫駅に汽車が着く時間を見て、お客を呼びに行っていたほどらしいです。出店が出だしてようやく盛り上がったようです。
何年か前にドラマ水戸黄門で柳原十日えびすの場面が出ていたようですが、えびす神社は古くからあっても祭礼はありませんでした。全くのフィクションです。
明治の頃までは宮司さんは存在せず、近隣の住民によってお守りされていました。明治に出版された兵庫史のバイブル「西摂大観」にも記載無く神社の記載も有りません。その他兵庫史の有名どころの兵庫名所記、摂津名所図会などにも同じです。
大黒さんの福海寺にも観音さんや尊氏の記事はあっても、大黒さんの記述はまったくありません。
お札を購入したとき、大黒さんのお坊さんに昔の大黒さんとくに江戸期の福海寺の大黒さんについて聞いてみると、台所に守り神としてお祀りしていただけのようです。
大変勉強になりました。