今日は「時の記念日」だ
ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里のエッセイのようなもの「今日のダーリン」に気になる記事が
「じぶんの年齢を3で割って出た数字が、人生の時刻」
という考え方があります。
ぼく自身も、なるほどなぁと何度か思ったものです。
つまり、50歳なら、それを3で割ったら約16.6 ですから、
人生の時刻は16時と17時の間ということになります。
そろそろ夕暮れがやってきたなぁというわけです。
21歳の人だったら朝の7時、3歳ならまだ夜中の1時です。
この日がこれからはじまるという感じだし、
赤ん坊なんてまだ1時、目が開いてない寝てなさいだ。
ほんとに、比喩としてよくできているなぁと思います。
ぼくらは、これを読者の方のメールで知ったのでした。
たしか、学校の先生が、卒業していく教え子たちを
励ます意味で語ってくれたということでした。
18歳の高校生は、朝の6時のところにいるのですから、
落ちこぼれていようが、負けてようが、はぐれてようが、
まだまだ人生ははじまったばかりです。
成績がよかったり勝っていたりモテていたりしてても、
これからどうなるかなんて、わかりゃしない。
先生が言いたかったことが、なんとなく想像できます。
そこまでは、10年くらい前まで考えていたことです。
人生時刻が夜の9時くらいになったころ、
「ありゃまぁ、こりゃまぁ」と思ってしまいました。
あと3時間で、人生時間のカウントが終わってしまうよ。
「時間、あんまりないなぁ」と知ってしまうわけです。
そしてさらに、月日は流れるのでして、
「ありゃまぁ」どころじゃないです、夜の11時半です。
今日という日が終わるまで、あと30分です。
高校生に人生時刻を告げることは励みになるけれど、
老人にはあんまりうれしくない比喩になりそうです。
でもね、夜中の11時半のところで、たとえば、
矢沢永吉とぼくは元気で笑ってるじゃないか、現実には。
どういうことなのだろう、終わりじゃないじゃないか。
3で割るのをやめて、4で割ったら夕方なんだけどな…。
というような文章を、翌日の午前3時に書いていた!
えっ?! そうか、深夜の0時を過ぎても、
翌日を生きればいいのかと、気がついたのでした。
ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里のエッセイのようなもの「今日のダーリン」に気になる記事が
「じぶんの年齢を3で割って出た数字が、人生の時刻」
という考え方があります。
ぼく自身も、なるほどなぁと何度か思ったものです。
つまり、50歳なら、それを3で割ったら約16.6 ですから、
人生の時刻は16時と17時の間ということになります。
そろそろ夕暮れがやってきたなぁというわけです。
21歳の人だったら朝の7時、3歳ならまだ夜中の1時です。
この日がこれからはじまるという感じだし、
赤ん坊なんてまだ1時、目が開いてない寝てなさいだ。
ほんとに、比喩としてよくできているなぁと思います。
ぼくらは、これを読者の方のメールで知ったのでした。
たしか、学校の先生が、卒業していく教え子たちを
励ます意味で語ってくれたということでした。
18歳の高校生は、朝の6時のところにいるのですから、
落ちこぼれていようが、負けてようが、はぐれてようが、
まだまだ人生ははじまったばかりです。
成績がよかったり勝っていたりモテていたりしてても、
これからどうなるかなんて、わかりゃしない。
先生が言いたかったことが、なんとなく想像できます。
そこまでは、10年くらい前まで考えていたことです。
人生時刻が夜の9時くらいになったころ、
「ありゃまぁ、こりゃまぁ」と思ってしまいました。
あと3時間で、人生時間のカウントが終わってしまうよ。
「時間、あんまりないなぁ」と知ってしまうわけです。
そしてさらに、月日は流れるのでして、
「ありゃまぁ」どころじゃないです、夜の11時半です。
今日という日が終わるまで、あと30分です。
高校生に人生時刻を告げることは励みになるけれど、
老人にはあんまりうれしくない比喩になりそうです。
でもね、夜中の11時半のところで、たとえば、
矢沢永吉とぼくは元気で笑ってるじゃないか、現実には。
どういうことなのだろう、終わりじゃないじゃないか。
3で割るのをやめて、4で割ったら夕方なんだけどな…。
というような文章を、翌日の午前3時に書いていた!
えっ?! そうか、深夜の0時を過ぎても、
翌日を生きればいいのかと、気がついたのでした。