1996年に出かけた、ミラノのサンシーロスタジアムの記憶です。当時見た試合はインテル対アタランタで、インテルが当時9位と低迷していたこともあってスタジアムは空席が目立ち、私が見た席はバックスタンド1階席前から9列目とほぼ最高に近い場所でした。サンシーロスタジアムは1990年イタリアW杯に向けて整備したスタジアムで、スタジアムの周辺に円筒形の4本の柱を立てて屋根をかけていました。
イタリアW杯では、世紀の番狂わせとなった、開幕戦のアルゼンチン対カメルーン戦(1-0でカメルーン勝利)の会場でした。当時としては最先端の、バリアフリーを導入したスタジアムで、前述の4本の柱にらせん状のスロープをつけて、上の席にも車いすで上がれる構造になっていました。緊急事態になったらすぐに避難できるのも売りにしていました。
もっとも、私の行った1996年当時は、まだまだ最先端故のデメリットにも苦しんだ時期でした。当時、屋根がつき3階席が増築されたことで、スタジアムの風通しが悪くなり、芝生の生育が悪くなったという課題がありました。当時はサンシーロスタジアムの芝生はイタリア最悪とも言われたほどで、試合翌日に出かけたスタジアムツアーでは芝生に黒いシートがかけられ、芝生の管理には神経質になっている一端が見えました。
それでも、当時は日本には横浜国際競技場も埼玉スタジアムもなかったので、最大8万人収容できるサンシーロスタジアムの規模には圧倒されました。オーロラビジョンが2か所あって、ほぼすべての席から映像を見られる構造も初めてでした。1994年に三浦知良がこのピッチに立っており、「ここでプレーした日本人はいるんだ」という思いも持って見ていました。
最近はだいぶ状況が変わったようで、芝生については人工芝とのハイブリッドを採用してピッチコンディションを改善したようです。また、当時はスタジアムへのアクセスは治安に不安のある路面電車でしたが、今は地下鉄が開通して「サンシーロスタジアム駅」もできたようです。試合観戦に向けての環境は良くなったようなので、ミラノに行く機会があれば再訪してみたいものですね。
イタリアW杯では、世紀の番狂わせとなった、開幕戦のアルゼンチン対カメルーン戦(1-0でカメルーン勝利)の会場でした。当時としては最先端の、バリアフリーを導入したスタジアムで、前述の4本の柱にらせん状のスロープをつけて、上の席にも車いすで上がれる構造になっていました。緊急事態になったらすぐに避難できるのも売りにしていました。
もっとも、私の行った1996年当時は、まだまだ最先端故のデメリットにも苦しんだ時期でした。当時、屋根がつき3階席が増築されたことで、スタジアムの風通しが悪くなり、芝生の生育が悪くなったという課題がありました。当時はサンシーロスタジアムの芝生はイタリア最悪とも言われたほどで、試合翌日に出かけたスタジアムツアーでは芝生に黒いシートがかけられ、芝生の管理には神経質になっている一端が見えました。
それでも、当時は日本には横浜国際競技場も埼玉スタジアムもなかったので、最大8万人収容できるサンシーロスタジアムの規模には圧倒されました。オーロラビジョンが2か所あって、ほぼすべての席から映像を見られる構造も初めてでした。1994年に三浦知良がこのピッチに立っており、「ここでプレーした日本人はいるんだ」という思いも持って見ていました。
最近はだいぶ状況が変わったようで、芝生については人工芝とのハイブリッドを採用してピッチコンディションを改善したようです。また、当時はスタジアムへのアクセスは治安に不安のある路面電車でしたが、今は地下鉄が開通して「サンシーロスタジアム駅」もできたようです。試合観戦に向けての環境は良くなったようなので、ミラノに行く機会があれば再訪してみたいものですね。
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