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驚愕の戦術(1995年アヤックス)

2018-11-14 22:53:12 | ワールドサッカー
ネタが思いつかない、こんな日は昔の思い出を書きます。私がワールドサッカーというものを意識するようになった、1995年トヨタカップで来日したアヤックス(オランダ)の記憶です。当時のアヤックスは、名将ファン・ハールが率いて、革命的な戦術だった3-4-3を採用していました。もっとも、ダブルボランチを置いた3-4-3なら、Jリーグでもたまに見かけます。

当時のアヤックスが違うのは、中盤をダイヤモンド型に組んでトップ下にリトマネンを置いた、驚くべき布陣でした。普通の感覚では、1ボランチとなる中央の守備が持ちこたえられないと思います。当時、まだ映像を見て戦術的な約束事を理解できるほどはサッカーに精通していなかった私は、当時のサッカー雑誌でこのアヤックスの特集記事を見かけました。

すべてのポジションの戦術的な約束事が書いてあったこの本によれば、中盤のサイドにかなりの守備意識が必要という記載でした。それだけ、機能させるのが難しい戦術で、常にバランスを意識していないとカウンターであっさり失点のリスクもある戦術です。Jリーグでもこの戦術を試したチームもありましたが、1,2試合ですぐに元に戻していました。

しかし、当時のサッカー界では「ボスマン判決」という、契約期限切れの選手に移籍金がかからなくなるという規約の改正がありました。当時のアヤックスはそれの犠牲になってしまいました。期限切れになったところを次々と、バルセロナやユベントスあたりに引き抜かれたアヤックスの黄金時代は短かったです。

監督のファン・ハールも、選手数人と一緒にバルセロナに移りますが、アヤックスと同じ3-4-3をバルセロナにも持ち込もうとしたのは反発も招き、アヤックス時代ほどの成功はできませんでした。それでも、この戦術が及ぼした影響はいろんなところにありました。最大のものは、当時のオランダ代表監督、ヒディンクがこの3-4-3をコピーしてそのまま代表の戦術にしていたことです。

アヤックスのメンバーはほぼそのままオランダ代表だった時代なので、奇妙ではないですが、あの名将が実はこんなことをしていたと思い出します。もっとも、ヒディンクの場合アヤックスのコピーをやめて、4-2-3-1に戦術を変えてから結果が出るようになり、最終的には1998年W杯4強でした。サッカーは世界的にいろいろ動き面白いと感じていた、若いころの追憶です。
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