昨日、モンゴメリ著、村岡花子訳の小説「赤毛のアン」を読み終わりました。この小説に興味を持った理由は、ちょっと前のNHK朝ドラ「花子とアン」の主人公、村岡花子が実際に訳した物語だからです。村岡花子自身は、「日本には少年少女が親しめる良書が少ない」と考えて、英米の小説を訳すことに生涯をささげました。
読んだ印象では、この物語は文章で読むからこそ面白いというものです。理由は、物語が主人公アンが養母マリラに話しかけることで展開しているからです。アニメや実写版にしてしまうと、話している内容を映像にしてしまうので、活字を読むことによる想像力の効果が薄れると感じます。
赤毛のアンは、カナダの美しい郊外の村が舞台です。汽車が蒸気機関車で、駅から家までの交通手段が馬車であることを考えると、19世紀末から20世紀初頭くらいの物語です。自然の美しさは物語で十分表現されているのですが、その内容はアンの類まれな想像力で、「お化けの森」「恋人たちの小道」など名前をつけられています。
また、そんなみずみずしい感性を、アンは養母であるマリラに素直に表現しているところがいいです。孤児院から引き取った養女のアンですが、屈折したところがまったくなく、素直に友達やマリラと接し、勉強に遊びに一生懸命なところが面白いです。
ケーキを作る際に、塗り薬を間違えて混ぜてしまうなどのトラブルもありますが、アンは素直に育ちます。そういうところが好きだなと、自分に似ているところがあるアンに、昔の自分を思い出します。大人になると失われがちな部分ですが、モンゴメリも村岡花子も、これを作ったときは少女に帰った思いだったと想像します。
大人の自分にとっても良書でしたが、確かに子供の頃に読んでおけば印象は強かっただろうと思います。アンの風景を見たいと、カナダへの旅を夢見たかもしれませんから。
読んだ印象では、この物語は文章で読むからこそ面白いというものです。理由は、物語が主人公アンが養母マリラに話しかけることで展開しているからです。アニメや実写版にしてしまうと、話している内容を映像にしてしまうので、活字を読むことによる想像力の効果が薄れると感じます。
赤毛のアンは、カナダの美しい郊外の村が舞台です。汽車が蒸気機関車で、駅から家までの交通手段が馬車であることを考えると、19世紀末から20世紀初頭くらいの物語です。自然の美しさは物語で十分表現されているのですが、その内容はアンの類まれな想像力で、「お化けの森」「恋人たちの小道」など名前をつけられています。
また、そんなみずみずしい感性を、アンは養母であるマリラに素直に表現しているところがいいです。孤児院から引き取った養女のアンですが、屈折したところがまったくなく、素直に友達やマリラと接し、勉強に遊びに一生懸命なところが面白いです。
ケーキを作る際に、塗り薬を間違えて混ぜてしまうなどのトラブルもありますが、アンは素直に育ちます。そういうところが好きだなと、自分に似ているところがあるアンに、昔の自分を思い出します。大人になると失われがちな部分ですが、モンゴメリも村岡花子も、これを作ったときは少女に帰った思いだったと想像します。
大人の自分にとっても良書でしたが、確かに子供の頃に読んでおけば印象は強かっただろうと思います。アンの風景を見たいと、カナダへの旅を夢見たかもしれませんから。