先日のイラク戦、1-0でしかもその1点がPKだったので、マスコミはシビアに書くかもしれないと思っていました。しかし、内容は良いので認めるべきで、共同通信の記事が好意的でほっとしています。レッズ戦だと、1-0の勝利でオウンゴールが決勝点のときはあまりいい記事を書かない私ですが、一度だけオウンゴールの決勝点に狂喜乱舞したことがあります。
それは2005年3月のW杯最終予選、日本対バーレーンです。当時のジーコジャパンは苦戦続きで、ホームの朝鮮民主主義人民共和国戦はロスタイムの大黒将志のゴールで辛勝、アウェイのイラン戦は敗れ、1勝1敗で迎えたバーレーン戦は天王山でした。
当時のバーレーンはアジア注目の新興勢力で、ガルフカップで準優勝して、FIFAランキングを110位から64位に上げるなど躍進のさなかでした。前回大会(2002年)も最終予選に残っていましたが、当時は最終戦でイランを破ってイランのW杯出場を阻んだ金星が目立つ程度でした。
しかし、この2006年の予選は4チーム中2位以内がW杯に出場できるチャンスで、バーレーンもアウェイの日本戦では何か策があるはずだという期待もしていました。その策は、極端な0-0狙いの守備的なサッカーでした。普段の4バックを3バックに変え、高原直泰、鈴木隆行の2トップをフィジカルで抑え込んできました。
ジーコは中田英寿をボランチで起用する傾向がありましたが、この試合は負傷明けの中田英寿をボランチに入れた賭けでした。しかし、いくらクロスを入れてもバーレーンの堅陣は崩れませんでした。親善試合で対戦したシリアが、連続してクロスを入れると次第に綻びを見せるのとは差がありました。
そんなジリジリした展開が崩れたのが、バーレーンMFサルミーンのオウンゴールでした。中村俊輔の蹴ったFKを宮本恒靖が合わせましたが、ボールはファーサイドのサルミーンに渡り、名手サルミーンなら簡単にクリアできそうなボールでした。
しかし、CKに逃れようとしたサルミーンのキックがミスキックになってオウンゴールになり、日本はこの天王山を1-0で勝利しました。当時埼玉スタジアムのゴール裏にいた私は、何が起こったかわからないまま、とにかく日本のゴールだと狂喜乱舞していました。これを書くために、当時の観戦記を久しぶりに読んだので、いろんな忘れていた事実を思い出しました。
それは2005年3月のW杯最終予選、日本対バーレーンです。当時のジーコジャパンは苦戦続きで、ホームの朝鮮民主主義人民共和国戦はロスタイムの大黒将志のゴールで辛勝、アウェイのイラン戦は敗れ、1勝1敗で迎えたバーレーン戦は天王山でした。
当時のバーレーンはアジア注目の新興勢力で、ガルフカップで準優勝して、FIFAランキングを110位から64位に上げるなど躍進のさなかでした。前回大会(2002年)も最終予選に残っていましたが、当時は最終戦でイランを破ってイランのW杯出場を阻んだ金星が目立つ程度でした。
しかし、この2006年の予選は4チーム中2位以内がW杯に出場できるチャンスで、バーレーンもアウェイの日本戦では何か策があるはずだという期待もしていました。その策は、極端な0-0狙いの守備的なサッカーでした。普段の4バックを3バックに変え、高原直泰、鈴木隆行の2トップをフィジカルで抑え込んできました。
ジーコは中田英寿をボランチで起用する傾向がありましたが、この試合は負傷明けの中田英寿をボランチに入れた賭けでした。しかし、いくらクロスを入れてもバーレーンの堅陣は崩れませんでした。親善試合で対戦したシリアが、連続してクロスを入れると次第に綻びを見せるのとは差がありました。
そんなジリジリした展開が崩れたのが、バーレーンMFサルミーンのオウンゴールでした。中村俊輔の蹴ったFKを宮本恒靖が合わせましたが、ボールはファーサイドのサルミーンに渡り、名手サルミーンなら簡単にクリアできそうなボールでした。
しかし、CKに逃れようとしたサルミーンのキックがミスキックになってオウンゴールになり、日本はこの天王山を1-0で勝利しました。当時埼玉スタジアムのゴール裏にいた私は、何が起こったかわからないまま、とにかく日本のゴールだと狂喜乱舞していました。これを書くために、当時の観戦記を久しぶりに読んだので、いろんな忘れていた事実を思い出しました。