今日、スピードスケートの思い出の記事を書いているうちに、1984年サラエボ五輪を本命の評価で勝てなかった黒岩彰選手を思い出しました。プレッシャーという言葉がマスコミで一般的になったのはこのときですが、自分もささやかながらプレッシャーがどういうものか、学生時代のオリエンテーリングで経験したことがあります。
当時、オリエンテーリングの大学選手権(インカレ)の個人戦出場権を賭けて、セレクションレースに挑戦した私ですが、オリエンテーリングは冬季五輪の距離スキーと同じように1分間隔の時差スタートで、山の中で前の選手に追いついたり後ろの選手に追いつかれたりします。
しかも、地図と自分の方向を見定めるオリエンテーリングの場合、ひとたび大きなミスをすれば10分以上の差が詰まることは日常茶飯事です。後ろの選手を見たときの動揺をどうしても自分はうまくコントロールができず、最後のチャンスだった大学4年のときのセレクションレースでこれが原因で失敗しました。
しかし、オリエンテーリングでは敗者復活戦とも言うべき、前座レースの一般クラスで選手権対象外ながら出場だけはすることができます。ここで入賞すれば表彰台にも上げてもらえて目立てますが、私はまたもレース前で過緊張に陥ります。作戦は十分立てていて、前半の登りで飛ばせるだけ飛ばして後半の下りは慎重に走ってミスをしないと決めていましたが、スタート前の独特の雰囲気は何度やっても慣れませんでした。
そんなとき、時差スタートに必要な自動のスタートチャイマーが、なんと故障しました。スタート地区に響いたのは、手動でスタートを知らせるための笛でした。これで私はわれに返りました。突然頭がクリアになった私は、スタート直後に予想外のミスをします。
当時後輩を指導する立場だった私は「人につられるな。自分より速い選手はいないと思え。」と指導していたことを思い出し、落ち着いてその状況を処理してすぐに予定通りの道に乗り、その後はプランどおりに上り坂を走り切り、そのレースで3位に入って表彰台に乗れました。
私の場合、プレッシャーに勝てたのは偶然でしたが、予想外のことが起こったときにそれをプラスに捉えられたのが、4年間の成長だったと今では思います。清水の長野金メダルのときにも、整氷作業でレースが中断した時間で気持ちを落ち着けたと聞きます。そんな気持ちのコントロールは、私のオリエンテーリングをちょっと思い出しました。
当時、オリエンテーリングの大学選手権(インカレ)の個人戦出場権を賭けて、セレクションレースに挑戦した私ですが、オリエンテーリングは冬季五輪の距離スキーと同じように1分間隔の時差スタートで、山の中で前の選手に追いついたり後ろの選手に追いつかれたりします。
しかも、地図と自分の方向を見定めるオリエンテーリングの場合、ひとたび大きなミスをすれば10分以上の差が詰まることは日常茶飯事です。後ろの選手を見たときの動揺をどうしても自分はうまくコントロールができず、最後のチャンスだった大学4年のときのセレクションレースでこれが原因で失敗しました。
しかし、オリエンテーリングでは敗者復活戦とも言うべき、前座レースの一般クラスで選手権対象外ながら出場だけはすることができます。ここで入賞すれば表彰台にも上げてもらえて目立てますが、私はまたもレース前で過緊張に陥ります。作戦は十分立てていて、前半の登りで飛ばせるだけ飛ばして後半の下りは慎重に走ってミスをしないと決めていましたが、スタート前の独特の雰囲気は何度やっても慣れませんでした。
そんなとき、時差スタートに必要な自動のスタートチャイマーが、なんと故障しました。スタート地区に響いたのは、手動でスタートを知らせるための笛でした。これで私はわれに返りました。突然頭がクリアになった私は、スタート直後に予想外のミスをします。
当時後輩を指導する立場だった私は「人につられるな。自分より速い選手はいないと思え。」と指導していたことを思い出し、落ち着いてその状況を処理してすぐに予定通りの道に乗り、その後はプランどおりに上り坂を走り切り、そのレースで3位に入って表彰台に乗れました。
私の場合、プレッシャーに勝てたのは偶然でしたが、予想外のことが起こったときにそれをプラスに捉えられたのが、4年間の成長だったと今では思います。清水の長野金メダルのときにも、整氷作業でレースが中断した時間で気持ちを落ち着けたと聞きます。そんな気持ちのコントロールは、私のオリエンテーリングをちょっと思い出しました。