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スピードスケート

2014-02-03 21:32:16 | 他スポーツ
冬季五輪では昔(1924年)からある競技で、パワフルな太ももから繰り出す力感が楽しみなスポーツがスピードスケートです。私は長野五輪の女子500mを見ていますが、当時のパンフレットには「コーナリングでの遠心力と人間の力との戦い」をキーワードに挙げていました。

長野五輪のスピードスケートの会場、エムウェーブはスタンドは改修前の駒場スタジアムくらいで、高い屋根で覆われた室内リンクです。五輪のスピードスケートの会場が室内になったのは1988年カルガリー五輪からで、それ以前は天候や風に左右される不安定な競技でしたが、室内で開催することによって全選手が公平に滑れるようになりました。

五輪のときは、距離とタイムからスピードを計算する、簡単な遊びをやっていますが、スピードスケートは男子で500m34秒台と、1kmを1分で走る競馬の馬と比べても遜色ないスピードが出ます。そんな競馬の馬に、もし駒場スタジアムと同じくらいのトラックを回させたらおそらく故障してしまうのは間違いなく、人間だから遠心力に筋力が打ち勝てるのです。

もし、スピードスケートがまっすぐに500mを滑らせるレースだったら日本人の筋力では勝てないはずで、コーナーリングの技術で勝負するスポーツだから日本人もメダル争いに絡めます。今回は、男子500mに挑む加藤条治、長島圭一郎、女子団体パシュートにメダルの期待がかかります。

かつてのスピードスケートといえば、今の日本選手団団長、橋本聖子氏が忘れられません。彼女は1992年アルベールビル五輪の1500mで銅メダルを取っていますが、彼女の快挙は1988年カルガリー五輪で、500mから5000mまで全ての距離に出場して全種目入賞したことです。

今のスピードスケートは、短距離と長距離のスペシャリストが別に存在する時代ですが、橋本聖子は全種目で日本選手権を突破して代表になり、しかもその全てで日本人トップレベルを取れる、今では考えられない存在でした。社会人の富士急に入社した若き日の岡崎朋美が、橋本聖子の富士山の斜面を駆け上るなどのトレーニング量のすごさに度肝を抜かれた伝説もあります。

今でもスピードスケート界では橋本聖子はカリスマで、カルガリー五輪を知らない世代ばかりになったスケート陣も、彼女が現れたら直立不動なのかもしれません。
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