今や代表で欠かせぬ存在の田中マルクス闘莉王選手ですが、浦和に加入して有名になる以前はJ2の水戸ホーリーホックでプレーしていました。水戸での闘莉王は、DFながら二桁ゴールを決める活躍で、当時首位だった新潟を1-0で破る決勝点を入れたこともあります。そんなJ2時代の闘莉王を生で見る機会が一度ありました。
それはリーグも終盤に入った11月、闘莉王が帰化して外国人枠から外れ、各チームが争奪戦になっていた頃です。大宮サッカー場での対大宮戦でしたが、DFが流れの中で点を取るというのはどういうことか、当時の水戸を観察してみました。
当時の水戸は前田秀樹監督が指揮を執っていましたが、4-3-2-1の布陣でした。闘莉王は普段はCBにいますが、3ボランチが闘莉王のオーバーラップをカバーする約束事になっていて、闘莉王はいつ上がってもいいことになっていました。それは、当時の1トップがあまりキープできるFWではなく、闘莉王がチームで一番攻撃力がある選手だったからです。
もちろん、セットプレーでは強力なターゲットですし、水戸もチーム全体で闘莉王にボールを集めて点を取らせようとしていました。闘莉王が敵陣に上がったときは、大宮DFトニーニョと1対1で戦うことになりましたが、まだ当時の闘莉王はトニーニョに勝てるほどではありませんでした。
それでも、突然出現した五輪代表のDF候補ということで、アテネ五輪を目指すU-23日本代表では大いに期待されました。もっとも、初戦のパラグアイ戦で、DF那須のミスで失点したときに、闘莉王が那須をののしったという事実が、ジーコ監督にチームの和を乱す行為と取られ、ジーコ監督はとうとう闘莉王を一度も代表に呼びませんでした。
そのため、闘莉王はその実力の割には、代表のキャップ数は多くありません。負傷も比較的多く、柱谷哲二氏からは「あんな休んでばかりの奴は闘将とは呼ばない」と言われるほどです。しかし、岡田監督の考えは、どんなにいいサッカーをしても、CBが体の強さで負けてしまっては意味がないというものらしく、代表のCBはほとんどの試合で中澤と闘莉王です。スピードには不安もありますが、デンマークの長身FWベントナーに勝てる可能性があるのは中澤と闘莉王のコンビだけでしょう。
それはリーグも終盤に入った11月、闘莉王が帰化して外国人枠から外れ、各チームが争奪戦になっていた頃です。大宮サッカー場での対大宮戦でしたが、DFが流れの中で点を取るというのはどういうことか、当時の水戸を観察してみました。
当時の水戸は前田秀樹監督が指揮を執っていましたが、4-3-2-1の布陣でした。闘莉王は普段はCBにいますが、3ボランチが闘莉王のオーバーラップをカバーする約束事になっていて、闘莉王はいつ上がってもいいことになっていました。それは、当時の1トップがあまりキープできるFWではなく、闘莉王がチームで一番攻撃力がある選手だったからです。
もちろん、セットプレーでは強力なターゲットですし、水戸もチーム全体で闘莉王にボールを集めて点を取らせようとしていました。闘莉王が敵陣に上がったときは、大宮DFトニーニョと1対1で戦うことになりましたが、まだ当時の闘莉王はトニーニョに勝てるほどではありませんでした。
それでも、突然出現した五輪代表のDF候補ということで、アテネ五輪を目指すU-23日本代表では大いに期待されました。もっとも、初戦のパラグアイ戦で、DF那須のミスで失点したときに、闘莉王が那須をののしったという事実が、ジーコ監督にチームの和を乱す行為と取られ、ジーコ監督はとうとう闘莉王を一度も代表に呼びませんでした。
そのため、闘莉王はその実力の割には、代表のキャップ数は多くありません。負傷も比較的多く、柱谷哲二氏からは「あんな休んでばかりの奴は闘将とは呼ばない」と言われるほどです。しかし、岡田監督の考えは、どんなにいいサッカーをしても、CBが体の強さで負けてしまっては意味がないというものらしく、代表のCBはほとんどの試合で中澤と闘莉王です。スピードには不安もありますが、デンマークの長身FWベントナーに勝てる可能性があるのは中澤と闘莉王のコンビだけでしょう。