2016/5/23: 去る4月20日に訪れた日光の裏見の滝(4/27・4/28に記事更新)を再訪した。前回はまだ木々の芽吹きも見られなかったが、今回はそのほぼ一ヶ月後となり滝周辺は深い緑に包まれていた。
日本三名瀑の一つ「華厳の滝」、日本の滝百選「霧降の滝」と並び日光三名瀑の一つに数えられる「裏見の滝」は、その名のとおり昔は滝の裏側に入ることができた。滝の裏側へ通じる道の名残りは、上の写真に見ることができる。滝の左手に暗い洞穴のように見える部分が断崖をくりぬいて作られた道の跡である。三枚目の写真がその部分を拡大したもので、中央には不動明王の石像が見える。「奥の細道」の道中日光を訪れた松尾芭蕉が、「しばらくは 滝に籠るや 夏(げ)の初(はじめ)」の一句を残したことは前回の記事にも記したが、「滝に籠る」ということから想像すると、芭蕉はただ下から滝を見上げただけではなく、おそらくこの滝裏への道を歩いて不動明王の前にもたたずみ、初夏の緑に包まれた滝の裏側でひと時を過ごしてこの一句を詠んだのではないだろうか。
しかしこの滝の上部の断崖がその後二度にわたり大崩落を起こし、その道は一部を残して崩壊し滝の姿も変わってしまった。最初は明治35年の大洪水で、次には昭和61年の大規模な崖の崩落により滝の落ち口は10メートル以上も下がってしまい「滝が小さくなった」という記録が残されている。滝下の渓流の中の多くの巨岩は、そのすさまじい大崩落によるものではないかと思われる。芭蕉が「滝に籠った」時には、70を超える多くの滝がある日光で「三名瀑」の一つに数えられるに相応しい大滝だったその雄大な姿を思い浮かべながら滝の前にしばらく立ち尽くしていた。
二枚目の広角撮影の写真では、画面の左上に裏見の滝に並んで流れ落ちる「荒沢相生滝」が見える。(*「荒沢相生滝」については次回更新。滝の周りに咲いている白い花は「ウツギ」ではないかと推測している。)