内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

台湾の大学に留学中のボルドー大学の中国学科の学生と京都学派の哲学についてZOOMで話す

2024-04-20 07:42:13 | 哲学

 現在台湾の大学に留学中だというボルドー大学中国学科修士二年の学生から先週突然メールが届いた。ボルドー大学日本学科の先生からの紹介だという。準備している修士論文は『荘子』「斉物論篇」を対象とし、その読解の手がかりとして西田哲学がますます自分にとって重要になってきたので、助言がほしいという主旨であった。
 メールの短い文面からだけでは、本人の意図していることがよくわからなかったのだが、「喜んで相談に乗りますよ」とすぐに返事を送った。ただ、辞書項目の執筆ですぐには時間が取れないから、一週間ほど待ってもらうことにした。
 幸い、今週火曜日に大項目「形而上学/第一哲学」の第一稿(日本語に訳せば、四〇〇字詰め原稿用紙で三〇枚くらいになり、これはもう制限字数大幅超過だから、後日大鉈を振るって削らなくてはならないだろうけれど)が一応書き上がり、編集責任者に送信できたので、今週後半なら少し時間が取れると水曜日に連絡した。で、昨日金曜日にZOOMで話し合うことになった。こういう場合、テレビ会議ツールはほんとうに威力を発揮してくれる。お互い移動することもなく、話し合いそのものだけの時間を確保すればよい。その前後の仕事への影響も極小で済む。それに、まずは学生の話を聴かないことにはどう助言すればいいかもわからないから、こちらの方であらかじめ準備のしようもない。
 面談はこちらの時間で午後一時(台湾とは六時間の時差があるからから、むこうにとっては午後七時)から始まった。
 話を聴いてみると、意志の問題についての哲学的関心から『荘子』を研究対象にしたいことはわかったが、まだ研究方法も定まっていないし、指導教官は哲学が専門ではなく、そもそも中国学科で哲学的な問題を主題にすることは難しいようで、どう助言すればいいのかよくわからず、困惑してしまった。可能なアプローチについてあれこれ話しているうちに、話がどんどん広がっていって、話を具体的に研究の出発点に引き戻すのに一苦労した。ようやく話が一段落したと思ったら、西田の行為的直観について私が書いた論文について質問がいくつかがあると言うので、それらに一つ一つ答えていった。簡単には答えられないような大きな問題もあり、一通り説明するだけでもえらく時間がかかった。
 論文の書き方についてとても参考になったと本人は大いに喜んでくれたからよかったものの、これはまだまだ前途遼遠であると言わざるをえない。最後は、先日の台湾の地震の話や冬休み中にした日本旅行の話など、研究を離れた雑談になった。面談はニ時間に及んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「琴の音に峰の松風通ふらし」―『拾遺和歌集』より

2024-04-19 00:00:14 | 詩歌逍遥

 『拾遺和歌集』は、藤原道長による摂関体制最盛期を目前とした寛弘二、三年(1005、1006)頃の成立。花山院自撰とされ、『古今集』『後撰集』に次ぐ三番目の勅撰集。1351首収める。歌集としての知名度はさほど高くはないけれど、小倉百人一首に十首採られている。壬生忠見の「こひすてふ」、平兼盛の「しのぶれど」、藤原道綱母の「なげきつつ」など。
 岩波文庫版『拾遺和歌集』(2021年)の歌林のなかを気の向くままに逍遥していて、斎宮女御の次の一首に行き当たる。

琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ(雑上・451)

 「琴の音色に、峰の松風の音が似通っているようだ。松風は、どの山の尾、どの琴の緒から、奏で始めたのだろうか」。詞書には「野宮に斎宮の庚申し侍りけるに、松風入夜琴といふ題を詠み侍りける」とある。野宮は、斎宮が伊勢下向の前に精進潔斎する仮宮。ここは村上天皇皇女規子内親王。この歌の詠み手はその母、斎宮女御徽󠄀子(ぎし)。四句、山の「尾」に琴の「緒」を掛ける。「庚申」は、「道教に由来する庚申待ちの行事。この夜に寝ると、体内にいる三尸(さんし)という虫が抜け出して、天帝にその人の罪を告げるとも、虫そのものが人の命を危うくするともいわれ、神仏を祭り徹夜する習俗となった。徹夜のため、詩歌管絃の催しも行われた」(岩波文庫版、73頁、152番歌の注より)この一首、塚本邦雄の『淸唱千首』(冨山房百科文庫、1983年)にも採られていて、「徽󠄀子の數多の秀作中でも、最も有名な一首。これまた後世、數知れぬ本歌取り作品の母となつた」とある(140頁)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


命の終わりのはじまりの迎え入れ方をこれから学んでいくことになるのだろう

2024-04-18 00:00:00 | 雑感

 小さな頭の中で無い知恵絞って数日間考え続けるという甚だ不健康な苦行を己に強いると呼吸困難に陥ります。これは喩えではありません。喉から気管支のあたりにかけて、ほんとうに苦しくなるのです。そうなると、もはや集中して思考することができません。仕事の手を安め、深呼吸を繰り返し、胸のあたりの締めつけるような苦しみが収まるのを待ちます。これは一昨年まではなかった身体反応です。
 今年の一月に経験した「大患」の後、体が少しずつ壊れつつあるのかなという感覚が生まれました。この崩壊感覚はおそらく不可逆的に進行するでしょう。この内感は、身体についての気がかりではなく、いわば実存的な覚悟です。
 普段の暮らしに不都合があるほどの身体的困難は幸いなく、相変わらずジョギングは毎日続けております。ただ息が苦しくなったときは、すぐにウォーキングに切り替えています。距離だけでいえば、先月は440キロ以上走り、これは私にとって月間最高記録です。今月もラ・ボルド滞在中以外は毎日走っています。
 いずれにせよ、これまでほぼ「故障ゼロ」で本当によく働き続けくれた体がこれからは徐々に壊れていくのでしょう。これは不可避ですよね。
 そんな崩壊過程に入った自分の体とどう付き合っていくかという注意と配慮と世話がこれからは日々心の少なからぬ部分を占めていくのでしょう。
 だからといって、自暴自棄なるということはなく、老いをかこつこともなく、運命を呪うということもありません。それは罰当たりというものでしょう。
 あっ、そうそう、酒量は減りました。減らしたのではなく、自ずと減ったのです。以前より少ない量で、「今日はこれくらいでやめておこう」という気に自然になったのです。これは僥倖と言っても過言ではありません。
 くだくだしく書きましたが、現在の身体に対する感覚を一言で言えば、「ああ、いらっしゃいましたね。お待ちしていました。でも、正直なところ、どうおもてなしすればよいのかまだよくわかっておらず、不調法もしでかすかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」とでもなりましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


宮沢賢治と米津玄師 ― 牧野静『宮沢賢治の仏教思想』(法蔵館、2023年)より

2024-04-17 00:00:00 | 読游摘録

 牧野静の『宮沢賢治の仏教思想』は、「あとがき」によると、2019年度に筑波大学に提出した博士論文をもとにしたものである。序章と終章は本書のための書き下ろしであるが、第一章から第八章及び補章は、博士論文の提出以前と以後に諸誌に発表した論考に大幅な改稿を施したものである。
 序章、補章、終章に米津玄師への言及がある。興味深い内容なのでそれらの箇所を引用する。
 まず序章から。

 賢治の描いた物語は、舞台化、映画化、漫画化、絵本化、アニメ化、ゲーム化など、複数のメディア展開を遂げながら読み継がれている。賢治のテキストにインスパイアされたこと明言している楽曲も、交響曲、ロック、ポップス、ヒップホップなど、幅広いジャンルに存在する。

 一例を挙げる。米津玄師(一九九一~)というシンガーソングライターがいる。若者を中心に絶大な人気を誇り、YouTube にアップロードされた彼の楽曲は、多いものは数億回再生されている。すでに日本を代表するアーティストとしての地位を確立しており、二〇二〇年八月に発売された彼のアルバム『STRAY SHEEP』は「WORLD MUSIC AWARDS」の CD アルバムセールス部門にて全世界で首位を記録するほどの売れ行きをみせた。このアルバムの最後には、「カンパネルラ」という曲が収録されている。ほんの少し調べればわかることだが、あるいは調べるまでもなく気づく人も多いだろうが、この「カンパネルラ」は、賢治の『銀河鉄道の夜』の登場人物である。
 この米津玄師のように、賢治の影響を受けた創作は、今もなお行われている。賢治は、非常に多岐にわたるコンテンツにおいて受容され続け、人気を誇り続けている。その点において、日本近代文学史上、他に類例をみない。

 次に補章「恋する賢治」の第三節「恋と熱病」から。

 この節では音楽の中の〈恋する賢治〉を扱うことで、受容史を担う人々が賢治に向ける欲望を探る。具体的には若者を中心に絶大な人気を誇るシンガーソングライター米津玄師が二〇一四年に発表した「恋と熱病」に注目する。

 米津は@hachi_08というTwitter アカウントを運用しているが、 Twitter 上であるファンから、「米津さんは宮沢賢治が好きだと聞きました。恋と熱病のタイトルは宮沢賢治の春と修羅の中に収録されている恋と熱病が関係していたりしますか?」と質問され際、以下のように答えている。

引用することで本家を汚してしまうことに罪悪感がありましたが、どうしても使いたかったので頂きました。           ―二〇一四年三月一日、@hachi_08

 自身が表現したいと思うものをあらわすには、どうしても賢治の作品からタイトルを採りたかったのだと米津は言う。その際米津が、「本家を汚してしまうことに罪悪感がありましたが」とはっきりと述べていることは非常に示唆的である。米津が実際に「本家を汚して」いるのかについては受け手によって評価が分かれるであろうが、重要なのは、米津が、賢治に自身の欲望を読み込んでいることを自覚しているという点である。

 そして終章から。

 米津の熱心なファンたちは、曲をより深く理解しようと、『銀河鉄道の夜』について、ひいては宮沢賢治について知ろうとするだろう。YouTube で公開されている「カンパネルラ」のミュージックビデオに、なぜ走る列車の映像が挿入されるのか。カンパネルラが『銀河鉄道の夜』の登場人物であり、銀河鉄道の乗客だからである。あるいは歌詞中の「真白な鳥と歌う針葉樹」が、『春と修羅 第一集』において宮沢トシを悼む「白い鳥」は「松の針」などの作品を連想させるものであると気づく人もいるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


特薦 山本淳子『源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり』(朝日選書 2007年)

2024-04-16 00:00:00 | 読游摘録

 2007年度サントリー学芸賞受賞作。「はじめに」から引用します。これを読むときっと続きを読みたくなりますよ。大河ドラマ『光る君へ』をご覧になっている方にとってもご覧になっていない方にとっても、その期待を裏切らない作品です。

本書がいざなう世界は、一見、歴史小説のそれに似ているかもしれません。しかし小説が本質的に小説家個人の想像力による創作物であるのに対し、本書は資料と学説のみに立脚し、あくまで〈伝えられてきた〉一条朝の再現を目指しています。何よりこころがけたのは、資料に耳を澄ますこと――史料や作品自体がもっている情感の世界を損なわずに、この時代をよみがえらせることです。幸いに、資料たちはみな雄弁でした。一条・定子・彰子という三人の主人公はもちろん、登場する脇役たちの人間性も生き生きと伝えることができたと思います。

なにより、一條天皇の時代を味わってください。その時代の人になった気持ちで、考えるよりも感じてもらえればよいのです。彼らの試練と成長の物語は、必ず心を打ちます。そしてその後で『源氏物語』や『枕草子』を読むならば、その目はもう前とは違うものになっているでしょう。新しい発見やさらなる好奇心が生まれてくるに違いありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私には「枕頭の書」がありません、というか、ありえないのです

2024-04-15 00:00:00 | 雑感

 「枕頭の書」とは、『新明解国語辞典』(第八版、2020年)によると、「毎日欠かさず寝る前に日課として読む本」である。しかし、「枕頭」というからには、すでにベッドあるいは布団の中に入った状態で眠りにつく前に読む本であろう。就寝前、パジャマあるいは寝間着に着替える前に枕頭に端座して読む本は「枕頭の書」には該当しないのではないだろうか。少なくとも私にとってはそうである。
 それはともかく、私には「枕頭の書」と呼べる本がない。というか、それは私にとってほとんど不可能なのである。なぜなら、どんな本であれ、布団に入った状態で頁を開くと、まあ五分もたないで寝落ちするからである。まるで睡眠導入剤である。
 ところが先月、仕事部屋にはもう本の置き場所がなくなり、廊下に置く小型の本棚を二台購入したのであるが、それでも足りず、とうとう寝室にまで本が侵入することになり、それまではランプ台代わりだった枕頭の二段の小棚にも約五十冊の仏英和の本が並ぶことになってしまった。
 これら「枕頭の書」候補の選定にはかなり厳正な審査が行われた。その結果として並んだ本の背表紙を眺めるのは楽しく、これならば「これが私の枕頭の書です」と紹介できる本が今後誕生するかも知れないとちょっとワクワクしたのである。が、残念ながら、今のところ就寝前の状況に以前と変化はない。やはり五分もたない。それどころか、並んだ背表紙を眺めて今日はどの本を手に取ろうかと逡巡しているうちに眠りに落ちることもしばしばあるという体たらくである。
 これではそれらの本に対してまことに申し訳ない。そこでそれらの中から、これまでこのブログで取り上げていない本をときどき紹介していくことにする。
 と言ったものの、今月末までは辞書項目の原稿執筆で毎日朝から晩まで机に向かわざるを得ないので、それらのために「オリジナルな」書評のようなものを書く余裕は当面ない。で、昨日までと同様、しばらくはただ引用のみで御免蒙らせていただく(でも、そのほうがどうも喜ばれているような気配もあり、チョット複雑ナ気持チデス)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「世界が一つの美的な秩序のもとに統一されるという感覚を失ってしまうことは、端的に言って認識論上の誤りである」― グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』より

2024-04-14 00:00:00 | 読游摘録

 ベイトソンの『精神と自然 生きた世界の認識論』(岩波文庫、2022年)のイントロダクションからの引用を続ける。英語原本は Mind and Nature. A Necessary Unity というタイトルでベイトソンの死の前年1979年に出版された。

 今、まだいかにも頼りないものではあるが、エコロジーの考え方が広がりつつある。この思想も、生まれるそばから政治と商業の場に持ち運ばれ、矮小化されてしまっているのが実情ではあるが、ともかくも、今なお人間の心の中に、統一を求める衝動、われわれをその一部として包みこむ全自然を聖なるものとして見ようという衝動が働いていることは確かである。
 目を広く見開いてみよう。かつて世界中にあった(そして今なおあり続けている)さまざまなエピステモロジーの中で、世界の最終的な統合をうたっているものがいかに多いか。まったく対照的と言えるほどかけ離れた見方であっても、この大きな軸だけは共有している場合がほとんどである。しかもその多くが、最終的統合の姿を美と見ている。最終的統合の輝きがかくも大きな普遍性を持っているということは、現代に君臨する量の科学ですらそれを消し去ることはできまいという希望を与えてくれる。
 世界が一つの美的な秩序のもとに統一されるという感覚を失ってしまうことは、端的に言って認識論上の誤りであるという考えに私は固執する。旧来のさまざまなエピステモロジーにもいろいろと狂ったところはあったにせよ、世界が根本で統一されているという前提は保持していた。その前提を放棄してしまうことは、誤りの重大さにおいて比類なきものであると訴えたい。(44頁)

 ベイトソンがいう認識論上の誤りを誤りと認めないばかりか、「世界が一つの美的な秩序のもとに統一されるという感覚」を失ったことさえ忘れてしまったのが「人新世」の特徴の一つであったと、もし地球が人新世の後も存続するなら、その時代の歴史家たち(彼らはもはや人間ではないだろう)は記述するだろうという妄想からは私は逃れられない。


人間は「より大きな全体がいつでも美をたたえてそこにあるという信仰を失ってしまっている」― グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』より

2024-04-13 00:00:00 | 読游摘録

 グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然 生きた世界の認識論』(佐藤良明訳、岩波文庫、2022年)のエピグラフはアウグスティヌスの『神の国』の一節である。

目にも見えず、言葉にもならぬ美を湛えたる至上の神から摂理が下り地上の万物を満たしていることを、プラトン主義者プロティノスは木々の葉、木々の花をもって証明する。曰く、これら儚き命が、かくも完璧にかくも繊細に仕上げられた美を有するとは、それが神より降り下りたる証拠でなくて何であろう。神はその不変の美を万物に永遠にわたらせ給いているのであると。(14頁)

 ベイトソンは、『精神と自然』のイントロダクションで、なぜこの一節を同書のエピグラフとして掲げたのか、その理由を説明している。

本書は、われわれがみな、生きている世界の一部をなすという考えの上に築かれている。本書の冒頭のエピグラフとして私は、聖アウグスティヌスの認識論を明快に示す一節を掲げておいた。今日それはノスタルジーを喚起するばかりだ。生物世界と人間世界との統一感、世界をあまねく満たす美に包まれてみんな結ばれ合っているのだという安らかな感情を、ほとんどの人間は失ってしまっている。われわれの経験する限られた世界で個々の些細な出来事がどうであろうとも、より大きな全体がいつでも美をたたえてそこにあるという信仰を失ってしまっている。(43頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


地球上に新しい可塑的な相互連関の動的総体を作り出す知恵と実践としてのエコゾフィー

2024-04-12 00:00:00 | 読游摘録

 フェリックス・ガタリの Qu’est-ce que l’écosophie ? から、昨日引用した段落の次の段落を引用する。

Il est donc nécessaire, pour faire face aux enjeux gigantesques de notre époque, pour réorienter radicalement ses finalités, de passer d’une écologie passéiste crispée sur la défense de l’acquis vers une écologie futuriste tout entière mobilisée vers la création. Les menaces qui pèsent aujourd’hui sur l’espèce humaine, les espèces vivantes, ne résultent pas de circonstances accidentelles. Certes, pour une part, elles sont la conséquence d’erreurs d’orientation dans les domaines économiques, sociaux et technologiques, mais pour une part plus essentielle, elles manifestent la précarité de toutes les formes d’existence ici-bas et la nécessaire assumation créatrice qui leur sont corrélatives. Les rapports de voisinage, la vie domestique, conjugale, l’école, la santé, tous les liens sociaux doivent être ainsi réinventés au sein de la grande tourmente déterritorialisante qui menace de submerger la planète. Dans les deux décennies à venir , 80 % des populations humaines vivront dans des ensembles urbains dont certains comme la ville de Mexico prendront des dimensions invraisemblables. (F. Guattari, op. cit., p. 531-532)

 「エコゾフィー」は、ディープ・エコロジーの提唱者であるノルウェーの哲学者アルネ・ネス(1912‐2009)による造語である。1960年に登場する。「エコ」は、ギリシア語の「オイコス」をその語源としており、「家、住まう場所、家政」を意味する。「エコロジー」の「エコ」は、人間だけでなく、すべての生きとし生けるものが棲まうこのかけがえのない地球のことである。「‐ロジー」は、「バイオロジー」「サイコロジー」「アンソロポロジー」などのように、ある特定の対象に対してある一定の論理と方法に基づいた研究分野を指すが、「‐ソフィー」は、「フィロソフィー」に典型的に見られるように、「智慧・叡智」を意味する。
 「エコゾフィー」とは、ネスやガタリの所説を私なりに一言でまとめれば、自分がそこに生を恵まれ、その片隅に一欠片として一時棲まわせてもらっている地球に対する智慧・叡智と世話・配慮と直接的かつ創造的な関わりの実践の総体である。専門家による地球を対象とする種々の科学的研究ではなく、ましてや地球についての超然たる省察や思弁ではない。しかし、地球科学と相互に排他的な関係にあるのでもない。科学に背を向けるエコゾフィーは無力であり、エコゾフィーを智慧として伴わない科学は盲目であり、危険でさえある。


この地球の自然の有限性と特異性を受け入れる

2024-04-11 00:00:00 | 読游摘録

 フェリックス・ガタリの Qu’est-ce que l’écosophie ? textes présentés par Stéphane Nadaud, « ligne poche », 2018, 1re édition, Ligne, 2013 (『エコゾフィーとは何か ‐ガタリが遺したもの‐』杉村昌昭訳、青土社、2015)は、昨日引用したマノラさんの「あとがき」でも度々参照され、引用もされている。その参照テキストの一つを前後も合わせて二回に分けて引用する。
 そのテキストは、« L’environnement et les hommes, émergence et retour des valeurs ou l’enjeu éthique de l’écologie » と題された講演原稿で、編者の脚注によると日付は特定できないとのこと。いずれにせよ、1980年代後半から1992年8月にガタリが亡くなるまでの間のことであろう。

 L’écologie sociale et l’écologie mentale, nécessairement complémentaires des écologies scientifique et politique, ne devraient donc plus être fondées sur un sentiment de fusion éternitaire avec la nature mais sur la reconnaissance et l’assumation de la finitude, aussi bien de la vie individuelle que de la vie collective, de vie des espèces que de la vie des plantes et du Soleil. Le paradigme progressiste évoqué par Guy Aznar a fonctionné comme religion de rechange, comme référence pour fonder un sentiment d’éternité mais qui est en même temps une façon de conjurer une angoisse devant la singularité et devant la finitude. Le paradigme éthique écologique implique de remettre au foyer de la praxis humaine le sens de cette finitude et le sens de cette singularité. Cette finitude et cette singularité qui avaient été en quelque sorte évacuées de la pensée progressiste avec son style infantilisant. (p. 531)