内的自己対話-川の畔のささめごと

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人間は「より大きな全体がいつでも美をたたえてそこにあるという信仰を失ってしまっている」― グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』より

2024-04-13 00:00:00 | 読游摘録

 グレゴリー・ベイトソンの『精神と自然 生きた世界の認識論』(佐藤良明訳、岩波文庫、2022年)のエピグラフはアウグスティヌスの『神の国』の一節である。

目にも見えず、言葉にもならぬ美を湛えたる至上の神から摂理が下り地上の万物を満たしていることを、プラトン主義者プロティノスは木々の葉、木々の花をもって証明する。曰く、これら儚き命が、かくも完璧にかくも繊細に仕上げられた美を有するとは、それが神より降り下りたる証拠でなくて何であろう。神はその不変の美を万物に永遠にわたらせ給いているのであると。(14頁)

 ベイトソンは、『精神と自然』のイントロダクションで、なぜこの一節を同書のエピグラフとして掲げたのか、その理由を説明している。

本書は、われわれがみな、生きている世界の一部をなすという考えの上に築かれている。本書の冒頭のエピグラフとして私は、聖アウグスティヌスの認識論を明快に示す一節を掲げておいた。今日それはノスタルジーを喚起するばかりだ。生物世界と人間世界との統一感、世界をあまねく満たす美に包まれてみんな結ばれ合っているのだという安らかな感情を、ほとんどの人間は失ってしまっている。われわれの経験する限られた世界で個々の些細な出来事がどうであろうとも、より大きな全体がいつでも美をたたえてそこにあるという信仰を失ってしまっている。(43頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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