今日は、晴れ時々曇り。朝方は17度と、半袖で自転車に乗るとちょっと肌寒かった。日中の最高気温は28度。湿度は40%台。
ちょうど一週間後の来週金曜日、日本に発つ。到着は翌日29日土曜日。例年に比べて、滞在期間が二週間ほど短くなってしまった。九月の新学年からの学科長としての仕事をできるだけスムーズに開始するために七月中にやれるだけのことはやっておこうと、出発を集中講義開始直前まで遅らせたからである。
今日、新学年の準備として日本に発つ前にできることはほぼすべて終えた。集中講義の準備も東京に着いてからするよりもこちらでしたほうが捗る。あと一週間、集中的に準備できる。
昨日の記事で話題にしたシモンドンの MEOT(=Du mode d’existence des objets techniques)の第三部第二章第一節に 「レティキュラシオン réticulation」 という言葉が出て来る。これは、写真に詳しい方なら、レチキュレーション(現像処理中に乳剤膜表面に細かい網目状のしわが発生する現象、またはそのしわ)のことかと直ぐに思われたであろう。しかし、シモンドンは、有機化学における(高分子の)網状化(橋架け結合の導入によって三次元網目構造の重合体が形成される現象)を念頭に置きながら、この語を美的思考の特性の記述に応用している。
La destinée de la pensée esthétique, ou plus exactement de l’inspiration esthétique de toute pensée tendant à son achèvement, est de reconstituer à l’intérieur de chaque mode de pensée une réticulation qui coïncide avec la réticulation des autres modes de pensée : la tendance esthétique est l’œcuménisme de la pensée. 〔p. 181 (2001) ; p. 250 (2012) 〕
一昨日は Pierre Kerzberg, L’ombre de la nature、昨日は Otto Pächt, Questions de méthode en histoire de l’art、今日は Georg Simmel, Rembrandt, Circé, 1994 を読みながら、私の脳内でそれらの異なった思考様態それぞれの内的「網状化」が発生し、それに引き続いてそれらの思考様式の網状化がシモンドンの思考様態そのものの網状化を媒介として互に照応し始めていることに今日気づいた。目には見えない思考様態のレティキュラシオンがこの私において発生していることに、今、静かな興奮を覚えている。
これは、まさに、一つの美の経験である。