内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

歓喜させる文章

2022-08-22 17:10:54 | 読游摘録

 『道元の言語宇宙』からさらに摘録しておきたい。
 難解をもって聞こえる『正法眼蔵』の難解さに向き合う最良の方法として寺田透は「素読百遍意おのずから通ず」という、見方によっては愚直とも言える正攻法を採用する。そう書き出された「果て知れぬもの」と題された短章はもと「日本古典文学大系」の月報42に掲載された文章だが、どの巻に付されたのかはわからない。そこに寺田は同大系の校注者たちに対して無礼とも取られかねないようなことを書いている。

 ちゃんと頭注をつけて出る本の折込み付録の文章にこういうことを書くのは無作法だが、しかしともかくも僕はこういう自分の知識も、素読何回かするうちにおのずと得たものだということは、言わしてもらいたいと思う。定めし博捜と親炙のもたらした的確な註がこの本にはつくということだろうが、新しくこの本で『眼蔵』に接する読者、乃至厄介な歯の立たない本としてぱらりと目を配ったきり『眼蔵』を放擲していた読者が、そういう註によって言葉の意味を知り、理知的に大意をとらえて、それで『眼蔵』とはこういうものと思いこんでしまったら、それは誰よりもまずその読者にとって大変不幸なことだと僕は思う。(69頁)

 いくら「少し無作法だが」と断ってあっても、こう書かれては校注者たちもおもしろくはなかったであろう。『道元の言語宇宙』巻末の発表時所一覧によると、この文章が発表されたのは1960年10月で、第81巻が刊行されたのは1965年だから、直接的に同巻のみを念頭において書かれた言葉ではないし、寺田の言っていることはその通りだと私も思うが、校注者たちだって註はあくまで古典読解味読の補助に過ぎないことはわかりきったことであったろうから、発表の場所を考えれば読者への忠告として他の言い方もできであろうにと思う。
 この文章を書いた時点では、寺田は自分が後に「日本思想大系」のために『正法眼蔵』全巻の校注を担当することになるとは夢にも思っていなかったのではなかろうか。彼がこの畏怖すべき仕事をすんなり引き受けたとは考えにくいから、「大系」の編集委員たちがどのように彼を口説き落としたのか、その辺の楽屋話はちょっと知りたいと思う。
 註に頼ることの危険をあげつらうことが寺田の文章の目的ではもちろんなかった。タイトルに示されているように、主題は「果て知れぬもの」としての道元の文章である。註によって言葉の意味を知り、理知的に大意をとらえて事たれりとすることが読者にとって大変不幸であることの理由を寺田はこう説明している。

 何度読んでも、ふたたび本を開いてみると、いくえにも重なった(僕にはそれが、上下の重なりではなく、横に並び重なっていると見えるのだが)存在の層また層の中に拒みようもなく読者を引きこみ、やがて歓喜させるのが『眼蔵』の文章であり、表現であり、思考形式だからである。(同頁)

 何でもさっさと要領よく知解するだけで満足する浅薄な精神に対して『眼蔵』がその扉を開くことはないということだろう。寺田自身、過去に『眼蔵』について自分が書いた文章を時経て読み直すと、「何という貧寒なことしか書いていない貧相な文章だろうと、がっかりするのが常である」と告白している。
 それにもかかわらず寺田の道元についての文章を読むといつも発見があるのは、寺田自身がその都度歓喜するところまで『眼蔵』の文章に参入したうえで書いているからであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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