内的自己対話-川の畔のささめごと

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戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み(一)― フッサール現象学と時枝言語学の交点

2017-02-27 23:57:54 | 哲学

 『講座 日本語の文法 1 文法論の展開』(明治書院、昭和43年)は、時枝誠記が亡くなった翌年に刊行されている。本書の「はしがき」によると、「その巻頭には、時枝博士自ら「時枝文法は『時枝文法』に非ず」という稿をものされる予定であったが、不幸にして昭和四十二年十月二十七日に他界されたため、同年六月、名古屋市における「鈴木朖顕彰会」で行われた講演を、「『時枝文法』の成立とその源流」と題して掲げることにした」とある(3頁)。その掲載原稿は、「講演された時の録音を、できる限り忠実に文字化したものである」とその「あとがき」にある(27頁)。
 講演原稿起こしを担当した鈴木一彦によるその「あとがき」には、病篤くもはや原稿執筆どころではない病状であった時枝は、それにもかかわらず、自分が執筆予定の巻頭論文について、「あれだけは自分で書きたいんだよ」と一言、病床でこぼされていたという。
 その執筆予定論文のいささか挑発的な題名「時枝文法は『時枝文法』に非ず」は、時枝自身によるもので、その題名が意図するところは、「世の中で時枝文法というとき、時枝個人が発明し提唱した文法学説というように受けとられる向きがあるが、実際はそうではなく、学的に整理したのは時枝であっても、その源流は江戸時代以前の国語研究者の業績の中にあるのであって、いわば、時枝文法は日本の伝統的文法学説である」(28頁)ということである。
 ところが、この講演の中で、時枝は、およそ次のように述べている。
 鈴木朖の『言語四種論』を理解するためには、鎌倉時代にできた『手爾葉大概抄』にまで遡って、そこから考えなければいけない。それを解釈するカギとして、山内得立の「『フッサールの現象学序説』で説かれていることが、おおいに参考になった」(14頁)。
 ここで時枝が『フッサールの現象学序説』と言っているのは、実際には、岩波書店から昭和四年に刊行された山内得立『現象学敍説』である。私の手元にあるのは、昭和五年発行の第三刷である。
 明日の記事から、時枝が山内の本から何を学んだのかを、時枝自身の証言を手掛かりに見直していく。











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