内的自己対話-川の畔のささめごと

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近世における日中それぞれの儒学の動機と方法論の類似と両者の学問に対する姿勢の差違について ― 吉川幸次郎「学問のかたち」に即して(上)

2021-05-28 19:21:10 | 読游摘録

 吉川幸次郎の『古典について』を十日ほど前に購入して以来、毎日読んでいる。この機会にもう少し本書について書いておきたいことがある。
 本書第三部「江戸の学者たち」に「学問のかたち」と題された一文が収められている。初出は『世界』第五号、一九四六年五月刊である。同号は丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」が掲載されたことでよく知られている。吉川の文章の末尾には「一九四六年紀元節」と擱筆の日が記されている。その最後の段落に「わが国の学問の将来について憂いを担う人人に」とあり、敗戦からまだ半年経つか絶たないかという時期に、それらの人たちを念頭に置いて書かれた文章であることがわかる。『世界』同号が刊行された五月には東京裁判が始まる。
 主題は、日中両国の近世儒学の学問の方法における著しい類似と両国の学者たちの学問に対する姿勢における重要な差違についてである。連合軍占領下、「民主的な」独立国家としての国際的地位を獲得すべく国の再建をしはじめたばかりの時期にこのような主題を吉川が選んだのは、中国文学者だからという理由だけではないであろう。
 以下、吉川の叙述から近世における日中儒学の類似点を摘録する。
 伊藤仁斎・東涯父子と荻生徂徠に代表される元禄・亨保期の儒学と清朝の乾隆嘉慶期の儒学とは、その動機と方法においてきわめて類似している。時代的には、日本の古学のほうが清朝儒学に対して数十年から百年近く先行している。両者は共に儒学の古典である経書の解釈学としてあるが、宋明の儒者たちの恣意的な解釈を是正することをその動機としている。その方法は、いずれも古代言語の使用例を帰納綜合し、その知識の上に立ちつつ、経書をその本来の意味に立ち帰って読むことからなる。
 この方法の相似は、わが国における古学派の儒学が、一転して賀茂真淵、本居宣長の国学に受け継がれることによって一層強まる。私が特に興味深く思うのは、なぜ古学以上に国学において解釈学の方法が中国の儒学のそれと近似するのかという点である。その点について吉川は明示的には触れていないが、それは学問の対象である言語の違いによると思われる。
 吉川は、仁斎・徂徠らの古学をその方法において高く評価しつつも、「少なくとも中国の古語の解釈において、彼に劣るところがあるのは、やむを得ない」と弱点を認めている。いくら仁斎・徂徠が古代中国語に通じていたとしても、吉川が称賛するように見事な中国語の文章を綴ることができたとしても、外国語である中国語のしかも古語の解釈となれば、やはり本国の一流の学者にはかなわないであろう。ところが、国学の対象は日本語の古語である。だからこそ、真淵、とりわけ宣長は、古学から学んだ方法を自国の古語において徹底化させることで、清朝解釈学に引けを取らない高度な域にまで自己の解釈学の方法を精錬することができたのであろう。
 いかなる動機からどのような類似した方法が相異なった場所に生まれ、それらがそれぞれどのようにその地で継承され、いかなる契機を経て徹底化されていったのか。「学問のかたち」は、学問の方法の史的展開の力学についてのきわめて示唆的な話であると私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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