内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

この身はもとの古柏 ― 芭蕉の孤独なつぶやき 桃青句鑑賞(1)

2014-11-03 18:41:54 | 詩歌逍遥

 芭蕉が俳諧師として身を立てる決意で江戸に出てきたのは、寛文十二年(一六七二)、数えで二十九歳の時である。たちまちにして宗匠として名をあげたが、当時の俳壇の堕落ぶりに絶望して、江戸市中住在八年にして郊外の深川の草庵(後の芭蕉庵)に隠棲してしまう。その草庵は、とにかく住めるといった程度の粗末なものであったらしい。延宝九年(一六八一)年に、「茅舎の感」の詞書とともに、次の一句がある。

芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな

 天井から雨漏りがしてくる。盥に落ちる水滴の音が絶えない。戸外は台風で、風が吹き荒れ、芭蕉の葉が激しく音を立てている。
 その草庵も、天和二年(一六八二)十二月二十八日の大火に類焼、消失する。甲州の人を頼って甲斐の国谷村に流寓。翌年五月江戸に戻る。六月二十日、郷里の母が死去。知友門人の喜捨によって、深川に新築された芭蕉庵に移ったのが同年の冬。その時、「ふたたび芭蕉庵を造り営みて」との詞書とともに、次の一句を詠む。

霰聞くやこの身はもとの古柏

 焼け出されて流寓し、苦労を重ね、その間に母を失い、弟子門人たちの尽力でやっとのことで新しい草庵ができ、そこに移り住んでの感懐である。草庵近くに柏の古木があり、その葉に霰があたり、わびしい音を立てている。柏の葉は枯れても落葉せず春まで枝についているから、いつまでも古いままで変わらぬものの譬えとして用いられる。つまり、「住まいは新しくなったが、自分はといえば、あの古柏同様、もとのままではないか。いったいこれまで自分は何をやってきたのか」との自省の句である。









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