内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

講義の劇場性 ― 今月の新刊ジル・ドゥルーズ『スピノザ講義』に触れて

2024-10-08 21:08:42 | 読游摘録

 パリに住んでいた頃は、週に何度かふらりとカルティエ・ラタンの書店何軒かに立ち寄り、そこで思いもかけない本との出逢いも数え切れないほどあった。ストラスブールにももちろん素敵な本屋さんはある。でも、もう何年もほとんどそのような本屋さんに足を踏み入れたことがない。街のど真ん中のクレベール広場に面したFNAC へは月に何度かネットで注文した本を取りに足を運ぶ。でも、FNAC は本屋さんではない。家電・電子機器・CD・映像ソフト等も販売している大型店舗だ。
 先週土曜日、ネットで注文した本をFNAC に取りに行ったとき、少しだけ書籍の階を見て回った。哲学書のコーナーで、ジル・ドゥルーズの Sur Spinoza. Cours Novembre 1980 – Mars 1981, Les Editions de Minuit, collection « Paradoxe » が平積みにされていた。10月の新刊。手にとって見る。食指が動く。でも、28€はちょっと高いなあ(FNAC 会員は5%引きで26,6€だけれど)。スマートフォンで検索すると、電子書籍版は 19,99€。どっちにするか、家に帰って検討することにした。結果、昨日月曜に紙版購入。
 巻頭におかれた編者 David Lapoujade の解題に引用されていたドゥルーズの L’Abécédaire de Gilles Deleuze のなかの言葉、まさに我が意を得たり(身の程知らずの烏滸がましさこのうえもないこと、百も千も承知ですが)。
 講義の劇場性とその場での言葉の到来あるいは降臨、これはあらかじめ書いたものを読み上げただけではけっしてありえない。かといって、準備もせずに行き当たりばったりの即興性に任せるのではない。その真逆。書きものにせず、何度も頭のなかで( « dans sa tête »)「稽古」してから講義に臨む。

C’est comme au théâtre, c’est comme dans les chansonnettes, il y a des répétitions. Si on n’a pas beaucoup répété, on n’est pas inspiré du tout. Or, un cours, ça veut dire des moments d’inspiration, sinon ça ne veut rien dire. […] Et arriver à trouver intéressant ce qu’on dit. Or, ça ne va pas de soi, arriver à trouver intéressant, ou trouver passionnant ce qu’on dit. Et là, ce n’est pas de la vanité. Ce n’est pas soi, se trouver intéressant. Il faut trouver passionnante la matière que l’on traite, que l’on brasse. Or il faut parfois se donner de véritables coups de fouet, […] il faut se monter soi-même jusqu’au point où l’on est capable de parler de quelque chose avec enthousiasme. C’est ça, la répétition.

 少なくとも心意気だけは私もドゥルーズの顰に倣っております。