内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

抜書的読書法(哲学篇26)― モンテーニュ(十九) 死の学びとしての哲学(6)

2015-05-30 02:05:00 | 読游摘録

 モンテーニュにとって、生は一つの「通り路」(« passage »)であり、「生ならぬもの」から「借り受けた」ものである。ここで「借り受けた」と訳したフランス語の動詞 « emprunter » には、「(あるものを、例えば、お金・本などを)借りる」という意味と「(目的地に行くのに、ある道を)利用する」という意味とがあり、この文脈ではこの二重の意味で使われている。道行とは、その道を「借りる」ことなのだ。
 生が道行そのものに他ならないとすれば、私たちが生きているということは、その限られた時の間、生を借り受けているということになる。誕生時に、私たちは生の道を「借りる」。そしていくらかその道を進んだところで、そこから出て行く。そして、今度は、いわば「生ならぬもの」の道を再び歩む。自然は、私たちに次のように命じている。

「苦しみも恐れもなしに、死から生へと辿ったその同じ道を、生から死へと辿り直せ。」
« Le même passage que vous fîtes de la mort à la vie, sans passion et sans frayeur, refaites-le de la vie à la mort. »

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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