内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「自分と出会う」― 運命愛とニヒリズムの克服、そして「自分との新しい出会いの始まり」

2023-02-24 11:18:58 | 読游摘録

 朝日新聞の「こころ」のページに1990年代連載されていた「自分と出会う」というコラムには、井深大、田辺聖子、沢村貞子、谷川俊太郎、阿部謹也、加賀乙彦、山田洋次、大江健三郎など、各界の著名人たちのエッセイが寄せられていたようで、その一部が『自分と出会う75章』(朝日選書、朝日新聞「こころ」のページ編、2001年)という書籍にまとめられて出版されている。残念ながら、今は版元品切れで、中古本でしか入手できないようである。
 大森荘蔵生前最後に発表された小論「自分と出会う―意識こそ人と世界を隔てる元凶」もおそらくこの一書に収録されているのだろう。ちなみに、この小論は『大森荘蔵セレクション』(平凡社ライブラリー、2011年)に収録されている。
 昨日の記事で話題にした源了圓もこのコラムに寄稿している(1995年10月3日夕刊)。この掌編が源了圓の他の単著のいずれかに収録されているのかどうか知らないが、2021年に中公文庫として刊行された『徳川思想小史』に巻末エッセイとして収録されいる。そのおかげで読むことができた。
 戦時中の経験が語られている箇所がある。そこにとても印象深い一節がある。学徒動員で出征し、軍隊で小隊長としての責務を全うすることに全力を傾けていたときのことである。

私たちの部隊は薩南海岸にあった。ある日、独りで海岸沿いに拡がった陣地の見まわりをしていた時、今でもその理由はわからないが、私はふと身をかがめた。その瞬間、頭の真上を何か巨大なものが横切ったと思ったら、突然バリバリという音とともに砂煙が立ち上がり、それは私の目の前数メートル先から約一メートル間隔でつづき、五十メートルくらいさきで消えた。エンジンを止めて背後から私をねらっていたグラマン戦闘機だった。不思議な感情に包まれて蒼空の中に吸いこまれていく機影を見送る私に、ふとニーチェの amor fati(運命愛)ということばが浮かんできた。

 もし身をかがめなかったら、銃弾で命を落としていたのかもしれない。いわゆる「九死に一生を得た」というのとはちょっと違う。今こうして生きていることの不思議というか、奇跡というか、この日の出来事は源にとってその後の生き方を決めるような「自分との新しい出会いのはじまり」の経験だったのだと思う。
 この段落の次の段落はこう続けられている。

復員後、ベルジャーエフの『ドストエフスキーの世界観』を読んで文字通り五体が震える感動を覚えた。そしてニヒリズムの克服をニーチェとドストエフスキーをめぐって論ずる卒論を書いて大学を後にした。

 源は、戦後のある時期から日本思想史の研究者として自己の立ち位置を定める。それはそれで良かったと述懐しつつも、「だが普遍的問題への関心と日本思想史研究とのギャップがどうしても埋まらない」と煩悶する。ところが、「七十にも近い初秋の一日、両者を結びつける哲学的視点がパッと開けた」という。そして、エッセイはこう結ばれている。「自分との新しい出会いの始まりだった。」
 2020年、百歳で天寿をまっとうするまで、源はこの「始まり」を何度も経験したのではないだろうか。だから、かくも息長く研究を続けることができたのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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