内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「同時代思想」試験採点終了!

2014-01-29 00:12:00 | 講義の余白から

 イナルコの「同時代思想」の採点は、結局昨晩中に終えることができず、今日(28日火曜日)の昼までかかってしまった。
 最終結果は以下の通り。23人の履修登録学生中受験者は16人。うち2名は白紙答案だったから、もちろん零点。この2つの答案を除いた14の答案の平均点は20点満点で12点。これはかなり高い方だ。合格最低点である10点以上を得たものが12名。つまり不合格は2名だけ。最高点は16.9点。第二位が15.4点。第三位が14.4点。この後14.3、14.1と僅差で続く。
 最高点を取った学生の答案は、おそらく時間をかけて準備した成果であろう、見事な小論文になっていた。立てた問いは、「我々が感情の在所なのか、あるいは世界それ自体が感情的なのか」。選んだテキストは、時枝誠記、井筒俊彦、大森荘蔵。問いは、一見して明らかなように、大森のテキストに直接関係するが、時枝における〈場面〉論、井筒における世界の〈分節化〉論と巧みに組み合わせて問題を展開し、大森哲学における独我論と天地有情論の矛盾を的確に指摘し、この矛盾解消には、世界に於ける〈内部〉を認めざるを得ないと結論づけている。
 第二位の答案は、九鬼周造、井筒俊彦、大森荘蔵をテキストとして選択。問いは、「世界の知覚と現出について現代日本の哲学者たちはどのようなアプローチを試みているか」。論述が解説的・羅列的になりかねない問いの立て方で、その点では高く評価できない。しかし、まず仏訳が素晴らしかった。三つのテキストともほぼ完璧。小論文の方は、それぞれの哲学者の問題点を要領よくまとめてあった。しかし、私が特に高く評価したのは、講義中は時間がなくて読めなかった箇所もちゃんと自分で読んだ上で、時枝の〈場面〉についてきわめて適確な理解を示し、そこから日本語文法の固有性と知覚の関係に説き及び、言語と知覚の不可分性を浮かび上がらせることに成功していることである。
 第三位の答案は、田辺元のテキストを仏訳に選んだ唯一の答案。他二つは、丸山眞男と和辻哲郎。問いは、「個人は国家によって構成されたのではない固有性を持つことができるか」。まず田辺のテキストを選んだ「勇気」を讃えたい。とはいえ、訳は、やはり難しかったようで、六割くらいしかちゃんと訳せていなかった。しかし、小論文の中で、田辺が種の論理において、種としての〈民族〉を還元不可能な実体として、〈類〉と〈個〉とに対して特権的位置を与えてしまうという誤謬に陥っていることをちゃんと指摘してあったから、授業での私の説明はよく理解してることがわかった。国家に対して個人の還元不可能な固有性を認めうるかという問題を、今日の問題としてフランスと日本を比較しつつ論じ、個人の国家への創造的な働きかけの可能性を認めることをその結論として論文を閉じている。
 その他の答案も、与えられたテキストを読み込みながら、自分で立てた問に取り組んでおり、講義の内容をなんとか理解しようという姿勢がそこから伝わってきて、嬉しく思った。中には、プラトン、スピノザ、カント、ショーペンハウアー、バシュラール、サルトルなどを引用しながら、問題と格闘しているのもあったし、中国古代の思想家を比較の対象に引っ張り出してきたのもあったが、このように「店を広げる」と自分で収拾がつかなくなってしまいがちである。しかし、それはそれで読んでいて微笑ましかった。
 これで第一セッションに関連する作業はすべて終了。今回受験しなかった学生と落とされた学生たちのための第二セッションが六月にある。それまで「同時代思想」とはしばらくお別れである。













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